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ナショナル・シアター・ライブ「ベスト・オブ・エネミーズ」のKのレビュー・感想・評価

4.3
14/9/2023 thr tohoシネマズ日本橋 スクリーン9(初) G8 19:40〜

下手寄りどセンター、字幕上見下ろし。8-9でセンター。一つ前の列だと字幕同じ高さで、NTLで字幕追いながら見るにはGでちょうど良さそうだった。もっと小さい箱かと思ってたら中サイズくらいで見やすいスクリーンだった。


/えらいオモロだった!!!!なんじゃこれ!!!!!ここ数年のNTL配給作品で一番面白かったかもしれない。時間も幕間除けば約2時間とコンパクトにまとまっているうえ演出もタイトで観やすかったし、むしろもう少し見ていたいとすら。

/これが討論の始まり?!今や常識として見られるテレビプログラムにおけるあれそれの?面白すぎだろ……。時間経つのはえ〜
そもそもabcが視聴率獲得のために打ち立てた策がきっかけだったのね。成り立ちすら面白いわ。

/存在感こそ役者が放つもの……というのを視覚的に見せつけられてたまらん気持ちになる。主演2人の強大さ。

/ウォーホルの扱い泣ける笑涙笑 IQ60以下だが天才だて涙

/"好敵手"というタイトルが鑑賞後に強く輝く。永遠に交わることのない立場を取る二人が、死んでも拳を交わし続ける。優れた論客ではあるが非常にホモソーシャル的であり、知識人を装いながらも実際は闘争がしたいだけ(一般国民も)、というのは皮肉だ。(アーマードコア(ネットミームの方)かも。) 視聴率を得るために知識人と呼ばれる人々をコメンテーターとして喚び、誰も予想しなかった言葉での殴り合いを見せる。それを喜んで見つめる国民=観客達。ポピュリズム。本来語られるべきはずの政治的視点にはほとんど触れられなくなり、人々は"より良いアメリカ"を語る方を支持していく。バックリーの妻の言葉を借りれば"誰もあなたの意見を理解できないから"。

/分かりやすくではないが、抽象的にボクシングを模しているのが観ていると分かってくるのもとても面白い。二人の座る壇上はリング、階段を上がった上階のテレビモニターを模した三つのスクリーンはリングの上に注目してくださいと言わんばかりに掲げられるCAMモニター、そして彼ら二人を陰からサポートする人々はコーナーから拳を握って見つめる味方。そして"現場"から眺める観衆。彼ら二人はスノッブとして舌戦を繰り広げはするが、そのやり合いによって群衆の間に巻き起こる闘争心や実際の惨状に身を置くことはなかった……。よく回る舌と超高速で思考する頭(クイントさんが幕間のインタビューで言ってた)が彼らの武器。

/クイントさんが"ヴィダルは実際はカメラをすごく意識していた"つってたのも面白かったな。そういう癖、よく見てるな。自分が演技をする時もこういう習慣をつけたい。

/日本の著名人による議論って、ただ公的に発言力を持つ人の相手を負かすための言い合いでしかなくて(本作でもそうだったけど)、本当に悲しくなるの。ここでとどまってる場合じゃないのに。エンタメとしてであっても、公の場で議論ができる環境にあるって本当に羨ましい。

/二幕以降、劇場の静寂が身体全てを包み込む中、本格的に二人の討論(闘争)が広げられる様を、観客は固唾を呑みながらじっと耳に感覚を集中させる、俳優の表情を見つめる。実際の試合でもそうだよなあ、内側では物凄い興奮しているけれど、中核には絶対切り落とせない静かな緊張感がある。殴り合いをパブリックで見ているとはそういうことなのか。

/他国が彫り出すアメリカという国の彫像を見るの、凄く好きなんだよな〜と思うワイ将なのであった。(エンジェルスオブアメリカ再上映いつでも待ってます)

/人種を変えても許されるんだ……!つう新鮮な驚きがあった。今までもNTL作品は、これまで白人が役を得てきたキャラクターをそれ以外のカラードパーソンが演じるパターンが採用されてきたけど、実在の人物でも適用していいんだよなあ。マイノリティをマジョリティが取って代わる事はできないが、逆は可能であるから。これだよ、インクルーシブって……(インクルーシブと言うとエクスクルーシブが一般的に普通かのように思えてしまうから嫌だけど、こないだメンバー登録してるYouTuberが多様性を押し付けるなとか言っててクソ萎えたから敢えてこう言う。←この考えすらも、違う思想の元に育った人間同士なんだから"左派は自分と異なる意見があると知り絶望する"の類なんだろうな。嫌だわ〜。)

/"実際のバックリー自身もその居振舞いからゲイではないかと囁かれていたため、黒人俳優のヘアウッドが「男らしく」演じていること含め、オープンリーゲイのクイントとの対比も面白い"と北丸さんのコラムで書かれていてなるほどと。ホモソ感じすぎる!!

/舞台に関わる人間、広く括れば芸術分野にいる人間はほぼほぼ左派だろと思っているのだが、この舞台で描かれている保守派のバックリーが知識人寄りで、左派のヴィダルが耳目を集めがちな過激な言動を取る人物として描かれているのが面白かった。どちらかと言えば左派を知的に描く、ではないのか〜と思って。逆に実際保守派の人間から見たら左派はこう見えてるよな〜とも。バックリーは保守的な考え方を持ちつつも一歩引いて冷静に世間を眺めており、ヴィダルは自分が主人公の世界に存在する不条理を、強く批判する姿勢をとっている。それでもどちらかの支持に偏らない演出/脚本のバランス感覚が凄い。

/"舞台がいかに優れた表現方法か感じてもらいたい"ってインタビューで演出のジェレミーへリンが語っていたが、ま〜〜じで良かった。内部は激戦のテレビ局、討論を都合悪くなる前のタイミングで切り取るモニター、プラカードの乱立するデモ、ヴィダルが愛人やパートナーと手立てを語る/バックリーがヴィダルの文章から弱点を見出そうと向き合うホテルの同室での1秒ごとに混じり合う交錯、または彼らの死後、と完全にシームレスに行ったり来たりする。でもごちゃつかない。こんなきっぱりした演出がキマったら、出演者もスタッフも全員気持ちいいだろ……と羨望するしかないのである。舞台のうまみってこういうことだよねえ……。久しぶりにうっとりしてしまった。前作ライフオブパイも素晴らしかったし普段ファンタジー色の強い作品を讃えがちだから忘れてたけど、パースペクティブの違う演出だって面白いに決まってるんだよな。

/X旧Twitterでも日々同じようなことを見ている……相手のアラを探してそこを攻撃することは有効な手立てではないのに最終的にそこだけが取り沙汰される……。我々は政治について、国のあり方について、闘争を交えずに語ることは不可能なのか?!
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