耶馬英彦

キリエのうたの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

キリエのうた(2023年製作の映画)
4.0
 岩井俊二監督の映画は、2020年の「ラストレター」もそうだったが、時間と空間を前後しながら物語がやがて一本の道となっていく編集方法だ。本作品も同じように時間と空間が前後する。登場人物の気持ちを大事にするから、シーンが長くなる。その分、観客の想像力は限定される。俳句みたいな引き算ではなく、足し算の手法である。

 キリエという稀有の歌声の持ち主がいる。そして彼女に関わる人々の人間模様を中心に、時の流れの中で変わらないもの、変わり果てたものが描かれる。周囲を描くことでキリエの人間性を炙り出す。その部分だけは観客の想像力に委ねられる。極めて文学的だ。
 どのようにして現在のキリエになったのか。あるいは境遇になったのか。小学生の2011年から高校2年生の2018年、そして5年後の現在にジャンプするので、それぞれの間は不明だが、キリエがずっと大切にしているノートは、女子高生の真緒里が高校の図書館で見かけたものだ。中身は見えなかったが、おそらく歌詞とコードだろう。

 災害でも事故でも戦争でも、被災者は身体の傷だけでなく、心にも深い傷を負う。日本の社会制度では被災者は救われない。ただ僅かばかりの金を出し、束縛するだけだ。束縛から逃れて自由になろうとするキリエは、心の傷からも逃れようともがく。そしてそれが歌になる。
 歌に力があれば、アレンジャーがイントロダクションを付けたり、楽器を加えたりすることが可能だ。より洗練された歌になって、商業ベースにも乗ってくる。歌が仕事になっても、アマチュア時代のモチベーションを維持できるかどうかが、シンガーソングライターの岐路になる。キリエがどうなるのか、誰にもわからない。

 広瀬すずの演じた広澤真緒里=一条逸子の言葉が印象に残った。奥菜恵が演じた母は、スナックの3代目のママ。このままだと自分は4代目のママになってしまう。女を売りにする仕事はしたくないと、女子高生の真緒里は言う。しかし行き詰まった東京では、女を売りにするしかなかった。真緒里の不幸とキリエの自由を重ね合わせて描きたかったことが分かる。人生が交わるときにドラマが生まれるという訳だ。よく出来ている。
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