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PERFECT DAYSのOmakeのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
4.5
イタリア語の吹き替えで見た。
ここのセリフ、オリジナルはどんなかな、と想像しながら見た。

東京の、日常の美しい営みと孤独、と言って良いのだろうか。

主人公の平山はほとんど言葉を発しない。人との関わりを拒絶しているような会釈、微笑み。

どーも。
すみません。
わたしはあやしい者ではないです。
だから、ほっといてください。

東京ではそうやって人と関わらずにやり過ごすことができる。
真面目で善良な人々が暮らす分断された街。
各々が各々の世界をまもるために、慎重に人と関わらないように生きている。

だからお金が必要だ。
「金がないとどうにもならないなんて、なんて国だ!」
タカシが叫ぶ。
昨日のデートは2点。
彼はなんでも10点満点で採点する。
誰も評価しないことを一所懸命やることに何の意味があるのか。
評価と点数が彼の全てだけれど、それは優しい心を護るための自己防衛なのだろうか。

スナックのママは平山を気に入っているようだ。通ってくる人は皆ママに甘えに来ている。ポテトサラダのお通しにやっかむいい年をした男たち。皆んなのママなのだ。ここでは皆んな同じものを同じだけしか望んではいけない。えこひいきは御法度なので、人に好意も寄せられない。なぜなら日本人はとても嫉妬深い人々だからだ。そう、日本人はとても嫉妬深い。とあるイタリア人が言っていたことだ。だから何でも平等でないと問題が起こる。

トイレの壁の隙間に挟まれた宛名のない小さなメッセージ。暗号で書かれた、遊ぼうよ。返事は返ってくるのか?こんなに多くの人が行き交う都会でも言葉が同じでも話の通じる人を見つけるのは容易ではない。話が通じたとしても、その場限りの関係。感謝をしたらそこで関係は終わる。

平山の元に姪が訪ねてくる。家出娘だ。平山もその昔、家出青年だったのだろうか。お金のある大きくて窮屈な家に住んでいたのだろう。お金がある窮屈な家はまるで日本のようだ。東京ははぐれ者が暮らす街だ。地方の共同体と縁を切りたかったら東京に出てくる。
皆がプライバシーを守れる小さな空間を好んで東京で暮らす。そう、トイレのような空間だ。平山はその空間を毎日手入れしている。

家族がいても心が通わなければ孤独はより深い。彼の生活はまるで出家した修行僧のようだ。本と音楽と小さな木が彼の世界に寄り添う。

それにしても撮り溜めて几帳面に仕分けされたあの写真は誰のためのものなんだろう。吐き出せない彼の日々の思いなのだろうか。

いずれ誰にも死はやってくる。溜め込まれた思いはどこに行くのだろうか。それらは全て「ごめんね」と「ありがとう」になって消えてゆくのだろうか。


——
余談ですが、平山の住んでいるアパートの玄関上の電灯。あれがずっと点いてたのがすごく気になった。灯台みたいなものなのだろうか?


Un’altra volta è un’altra volta, adesso è adesso.だったかな?
日本語のオリジナルが気になっていたら誰かが書いていた
今度は今度、今は今
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