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フェラーリのOmakeのレビュー・感想・評価

フェラーリ(2023年製作の映画)
4.0
丘陵地帯の曲がりくねった道を、赤い車が疾走する映像を見て、まるで血流のようだと思った。

自動車産業はこの時代のイタリアにとって、国に活力をもたらすものだった。そして自動車レースはイタリア半島の動脈のようなものだったのかもしれない。

フィアット、マセラーティ、そしてフェラーリ。自動車のことを全く知らない私でもそのくらいの名前は知っている。当時のイタリアには他にも自動車メーカーはたくさんあったようだけれど、この物語に直接関係してくるのはこの3社だ。

大衆車を作っていたフィアットに対して、マセラーティとフェラーリは高級スポーツカーを作っていた。しかしフェラーリの経営は順調というわけではなく、知名度を上げるために、第二次世界大戦後はミッレミリアという公道で行われる自動車レースに参加することを決める。

ミッレミリアとはイタリア語で1000マイルという意味だ。約1600km。北部のブレシャから中部のローマに向かって折り返すルートで、一昼夜を走り続ける過酷なレースだ。

今の時代から考えると、恐ろしく危険なレースだが、戦争の記憶も未だ生々しいであろう当時、生きることと死はとても近い存在だったのかもしれない。

そのレースに会社の命運をかける当時の様子を、オーナーでありエンジニアでもあったエンツォ・フェラーリの人生と絡めて映像化した物語だ。エンツォを演じるのはアダム・ドライバー。その妻の役にペネロペ・クルス。


この時代、戦時の軍事技術は民間利用に転じて新しい産業が興った。イタリア、ドイツ、日本は、戦後は車を走らせ、国土の荒廃から経済を回復した。

イタリアでは、イタリア人のやり方で、ファミリービジネスを発展させた。前に進むということは、血を繋いでいくことなのだと赤い車が語っているように見えた。

Millemigliaを走り、生きて、ゴールに誰よりも早く辿り着くこと。先に進むには運に命を預けて走るしかない。

どんな時にも時は止まらない。時を止めるのは死だけだ。生きている者は時計の針を進める。

男たちが、女たちが、血を繋ぎ、生き残った者たちが家族の名と記憶を語り継ぐ。




title:
FERRARI

追記
イタリアの友人に、エンツォ・フェラーリの映画を観てきたよ、と報告したら、ああ、あのヤナ奴?と一言。イタリアではそういう認識になっているらしい。
ま、確かにヤナ奴だったけどね。
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