綾

落下の解剖学の綾のネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

法廷ものを観るといつも思うけれど、法律の世界というのは本当に肌に合わないな…… 自分を淡水魚にたとえるなら、海水の世界という感じ。言葉はわかるはずなのに、話が通じない。ずっと息苦しくて、そうじゃない、そうじゃないよ、と思いながら見守っていた。法治国家のおかげで秩序が保たれ、私の日々の安全が守られていること、法律を愛しそれに奉仕する人々のこと、尊敬するけれど、自分の属する世界ではないなと改めて。

ちょっとした言い争いやつい飛び出してしまった(本心から思ってるわけでもない)暴言が、法廷に持ち込まれた途端そのニュアンスを変えてしまう。ぐっと重みが増し、深刻なものになる。

日常の些細な一言の裏には個人の歴史がつもり積もっていて、その背景を無視して「法律的な言葉で」それらを語る強引さは、もはや暴力的だとさえ思った。だからといってちょっとした一言に込められたあらゆる意図を正確に言葉にすることなんてできなくて、途方にくれる。

私がサンドラの立場になったとき、それでも100パーセント信じ続けてくれる人ってどれくらいいるやろう…… と背筋が寒くなる。

人は思ってる以上に先入観やバイアスに支配された見方しかできないんやろうね……「そう見る」と、あらゆることがそう見えてくる。事実と想像の境界は、本当に、自分で思ってる以上に曖昧なもの。両者は無意識の中で溶け合っている。

サンドラのバイセクシャルとか、証人の学生の「マドモアゼルはやめてください」とか、息子を障がい者として育てたくなかったとか。大きな枠組みとしての差別はなくなりつつある(少なくとも無くそうという方向に向かっている)今、それでも一人一人の中に植え付けられたものはこんなにも根深く、こうした場面で一気に顕在化するものなんだなって。

夫婦間につもり積もったもの。一言一言に込められた意図や意味合い。人に社会に植え付けられた根深い差別と偏見。先入観やバイアス。それらを言葉にする、意識化するということの限界……
大量の情報がバーーーッと押し寄せてくる、すごく疲れる映画体験だった(これは褒め言葉でもあり、文字通りでもある)

ずっとサンドラは無実だという確信をもって見守っていたけれど、いざあんなふうに幕を下ろされると「えっでもじゃあ真相は…?」と思ってしまって。映画館からの帰り道、ああそうか、サンドラはこれからずっとこんな目線にさらされて生きていかなくちゃいけないのか…… とさらに気分が落ち込んだ。無罪を勝ち取っても、グレーはなかなか真っ白にはもどらない。しんどすぎるな……
綾