耶馬英彦

ジャン=リュック・ゴダール 反逆の映画作家(シネアスト)の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

3.5
 生まれたばかりの赤ん坊は、ほぼ何も表現できない。ただ泣いて自分の存在を主張するだけだ。その後、言語をはじめ、環境から様々なことを吸収して、やがて表現ができるようになる。何かを表現(アウトプット)するには、その素となるインプットが必要なのだ。
 おそらく、ゴダールに見えていた世界は、当方のような凡人に見えている世界とは一線を画していて、数多くの発見に満ちていたに違いない。ピカソと同じだ。そしてピカソが描き方を変えていったように、ゴダールも映画の撮り方を変えていく。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として映画界を牽引していった。

 ただ一点、気になるところがある。若き日のゴダールがしきりに映画は芸術だと主張するところだ。この主張の必然性がどうにも見えてこない。ベートーヴェンが音楽は芸術だと主張したり、モネが絵画は芸術だと主張することはなかった。ドストエフスキーが小説は芸術だと主張することもなかった。その必要がないからだ。映画は映画であって、芸術かどうかは大した問題ではないと思う。
 そのことで、ひとつ思い当たることがある。大学で演劇論を受講したときに、講師が映画は総合芸術だとさかんに主張していたのである。絵画彫刻や音楽に比べて、映画は新興の文化だ。追いつきたいと思っていたのだろうか。そう言えば、石原慎太郎は自分のことを芸術家と言っていた。作家の中で自分を芸術家と呼んだのは、この人以外に聞いたことがない。

 芸術かどうかよりも、人々にとって有用かどうか、人生に有意義かどうか、生活に潤いを与えるかどうかが重要で、本作品でも、バイク事故以降の描写にはゴダールが映画は芸術だと主張するシーンはない。映画の手法と同じように、世界観も進化し続けたのだろう。
 宮崎駿監督の著書には、過去の自分の作品を指して、くだらないと断ずる発言が出てくる。進化する人は過去を否定する傾向にある。ゴダールも同じだが、いちばん有名な作品が初期の「勝手にしやがれ」であることは、ゴダールにとって一番の皮肉かもしれない。
耶馬英彦

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