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瞳をとじてのSQURのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

実験的(前衛的という意味ではなく)な映画で、実験の目論見は成功しているけれども、実験的な部分が前面に出ているためにちょっとヘンテコな映画だった(少なくとも『ミツバチのささやき』を期待して観にくると面食らう)。

ラストシーンにおける「上映」で、スクリーンに映し出された「表象」が、いくつもの文脈の中において、万華鏡のように見る角度によって意味合いを変える。
『別れのまなざし』における「父」は、『瞳をとじて』においては生き別れた愛する人を探すという点でミゲルやアナに重なり、逆に『別れのまなざし』の中の娘はフリオに重なる。父の記憶がほとんどないという点で、娘はアナと重なり、音楽を聴いて思い出すというくだりでは映画を観て思い出すフリオとまた重なる。娘を探してきた探偵役はフリオが演じているという点で、フリオ自身であり、また家族を引き合わせたという点でミゲルに重なる。さらに言えば、この映画が20年以上の月日を経て上映された、かつての名優の映画という点で、アナ・トレントとフリオが重なる。そして2時間半の時間を経ての『別れのまなざし』ラストシーンを観ている観客は、20年の以上の時を経て『別れのまなざし』のラストシーンを観ている観客たちと重なる。まだまだいくらでも言えるだろう。

映画は、観る人によって、立場によって、その時、その場所によって、多様な意味を立ち顕れさせることのできるものである、というこの終盤の二重写しの激流が示すテーマは、ミゲルの信じる映画の持つ力に重なる。

この目眩のするようなラストシーン!
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