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アポカリプトのarchのレビュー・感想・評価

アポカリプト(2006年製作の映画)
4.8
いや本当に素晴らしい。 完成された構図に全く飽きさせない演出にストーリー。メル・ギブソンの監督としての才能が溢れるばかりの一作です。

今作にあるのは侵略の入れ子構造、そして"恐怖"とは何なのかということです。

侵略とは何かが何かを侵すということ。本作の題を文字るならば、黙示録を相手に言い渡すことと言えるでしょう。冒頭の豚を殺す主人公達という構図から始まり、村というコミュニティーでカースト的に笑いものにされる構図、そして他村からの侵略、そして最後のスペイン船とマヤ文明の構図。
絶えない入れ子のような侵略の構図が今作に存在し、それが弱肉強食というこの世の真理に繋がり、彼らの世界に置ける価値観を提示して、あまりに違う価値観の世界の物語を緊迫感のある重厚な物語にしています。


そして今作において重要なファクター。それは恐怖です。
父は「恐怖を感じるな 恐怖は伝染する」というようなことを口にします。
恐怖は確かに伝染し、心を病のように蝕みます。確かに恐怖に蝕まれた人達の様に主人公は恐怖を感じ、心に恐怖を感じています。

ですが、本作全体に通ずる事として「恐怖は無視すべきものでは無い」ということがあります。
もし、主人公は恐怖を感じて村から逃げたり、備えれば本作のような虐殺は起こらなかったかもしれない。
他にも予言する少女という「恐怖」を無視すべきでは無かったし、主人公を追う彼らは主人公への恐怖を無視し、警戒を怠ったからこそ、死んだのです。
恐怖は感じるものですが、基本的に"予感"するものです。自らや大切な何かを脅かされると予想するからこそ、恐怖する。つまり恐怖は予知に似たことであり、無視ではなく、向き合って備えるべきものであったのです。

主人公がマヤ文明の追ってから逃げるのが後半の展開です。恐怖し、追われる主人公は最中段々と覚悟を決めて"恐怖を克服"します。滝を飛び降りた瞬間が決定的です。それは恐怖を感じないこととは違い、向きあい対峙するという覚悟の形なのです。
物語に大して関わらない気が狂ったおじいちゃんに尺を割いたのも、その対比的な存在であったからでしょう。

本作において、彼らが纏っていた青色の着色料は恐怖に侵されている状態の暗示。そして滝を超えて真っ黒な泥に使った状態は"恐怖を克服"したことを暗示しているのです。

そんなふうにして本作では恐怖を克服していく様を凄まじい熱量とクオリティーで描いてるのです。
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