りゅう

ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワーのりゅうのレビュー・感想・評価

4.0
映像作品の中の「女性の消費」。
(ステレオタイプな)女性キャラクターの描き方が問題なのは知っていた。
しかし、それらは小説、漫画などでも同じ。
本作は特に映画での女性のみせ方に焦点を合わせて、その問題点を指摘している。

上野千鶴子の「スカートの下の劇場」の、映画版と言えるかもしれない。

照明、カメラワーク、視線誘導など映画技法の話が出てくるのは興味深かった。
ステレオタイプな女性キャラクターの脚本的な問題などは本作の中では少なかったと思う。逆にアメリカではそれらは「すでに当然の問題」となっているため、ここでは取り扱われなかったのかもしれない。

◯主体、客体
こんなに分かりやすい説明は初めて。
フェミニズムの本にはなんの説明もなく“客体”という言葉が使われる。このような説明があれば、かなり理解の助けになる。

◯女性監督、日本の映画業界
映画学校の男女比は五分五分。
しかし、活躍する監督となると圧倒的に男性が多い。
女性であるだけで活躍の場が与えられないのだ。
機会は男女均等に与えられているように見えても、実際には女性を遠ざける傾向がある。
監督の周りの映画業界が男性社会であるためで
ある。
よくある「機会平等という不平等」である。

映画学校の男女派が五分五分であるだけでも、アメリカと日本で差があることを思い知らされた。上野千鶴子の東大入学式のスピーチを思い出した。

フェミニズムが進んだと思われているアメリカでもこれだけ問題が山積みである。
一体、日本はいつになったら問題解決に向かうのか、と思わされる。
(西洋中心主義が良くないことは承知しているが)

◯ロールモデル
活躍する女性監督がいないということは、女性目線の映画が少ないということでもある。
また、女性が監督した作品でも、彼女が今まで観ていた映画は男性の作品である。
映画文法を作ってきたのは男性であるため、女性監督の作品でも、カメラワークなどの技能が女性を商品として消費するようなものになってしまう。

◯ポリコレ
ハリウッドの雇用差別。
「ポリコレがあるとつまらない」
「ポリコレ配慮した映画は観たくない」
という馬鹿がいるが。
もともとハリウッドの差別がいかにひどかったことか。

◯椅子
本作は監督の行った講義の様子を映画として編集している。
監督の座る椅子が映画館の椅子であり、時折そこに座るのが洒落た演出である。

◯問題点
もちろんであるが、本作で扱われている映画は監督の恣意的な選択、編集を経ている。
それは、監督自身や出演者が承知していることだとは思うが。

◯問題提起
問題提起が大事であると感じた。
本作により、劇的に映画業界が変わることはないかもしれない。
しかし、問題提起することが大事なのである。
今まで可視化されていなかった問題、明文化されていなかった問題を探り出すこと。
そして、それを共通認識の問題とするため世に出すこと。
これだけで意義がある作品だと思う。

この映画を観る人は何かしらフェミニズムに興味がある人が多数だと思う。
最低限の知識、意見を聞く耳がある人たちだ。
(実際、シスジェンダーという単語は説明なくでてくる)
一番観てほしい人たちに本作が届かないのである。

◯規制
映画作品には悪影響のある“男性のまなざし”があることは理解できた。
しかし「悪影響があるから止めよう」という考えは100%支持できない。
人が不快になる表現をなくした結果、それこそ「華氏451度」のような世界が訪れるのではないか。

また、悪影響があるため規制されるべき作品の筆頭は「聖書」ではないか。
どれほどのの差別(人種、同性愛、女性)、戦争を引き起こしてきたことか。
りゅう

りゅう