耶馬英彦

月の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
4.0
 とても面白かったが、とてもキツかった。

「本当のことを言え」
 まるで喉に刃物を突きつけられたような気がした。安全無事を願うこちらの心を見透かしているかのように、容赦なく問いかけは続く。
「きれいごとを言うんじゃないぞ」

「それが現実です」
 磯村勇斗のさとくんと、二階堂ふみの陽子の口癖だ。視野の狭さを感じる部分はあるが、介護者として日々触れ合う障害者たちと、五感全部で向き合わねばならない者たちの本音であることはたしかだ。

 しかし宮沢りえの主人公堂島洋子は、違和感を覚える。さとくんも陽子も、障害者と自分たちは違うと思っている。そこがおかしい。自分たちはたまたま健常者で生まれてきただけで、偶然に過ぎない。健常者であっても、いつ不慮の事故に遭って障害者にならないとも限らない。いつ災害に遭って家も財産もなくさないとも限らないし、いつ失業してホームレスにならないとも限らない。障害者やホームレスと自分たちの差は紙一重に過ぎないのだ。
 多くの人はうっすらとそのことに気づいていると思う。漠然とした不安や危機感は常にある。だからいまの安全無事を願う。君子危うきに近寄らず、李下に冠を正さず。見て見ないふりをする。きれいごとで表面を取り繕う。他人にも自分にも嘘をつく。
 そこを責められると、洋子には返す言葉がない。洋子には負い目がある。安全無事を願ってきたという負い目だ。しかし障害者の人格を否定するのは別の問題だ。ましてや生命さえ否定するのは、ナチスの優生思想と同じではないか。

 松山ケンイチが主演した映画「ロストケア」を思い出す。金持ちは痴呆症の要介護者を施設に入れるが、貧乏人は自分で介護するしかない。介護で働けなくてもその理由では生活保護費は支給されない。社会は穴の空いたバケツで、不幸な人たちは穴から落とされる。主人公の斯波はそう主張する。

 本作品は知的障害者施設が舞台だが、介護の現実は痴呆症と同じで、食事、入浴、トイレが自分でできない要介護者が相手だ。キツい仕事である。あまりのキツさから、要介護者に対する殺意が生じる。痴呆症も障害者も同じだ。
 要介護者の問題は社会全体で引き受ける必要がある。家族や施設の職員が生活を犠牲にしたり精神を病んだりしながら対処するものではない。税金は困っている人にこそ使われなければならない。使いもしない武器や兵器を買っている場合ではないのだ。

 しかし他人の不幸に自分の税金が使われることに納得しない人々がいる。障害者やホームレスと自分たちの差が紙一重に過ぎないことを理解しない人々だ。南青山の児童相談所の建設に反対した港区民がいたが、その理由がふるっていた。児相は街のイメージを低下させ、地価の下落を招くというのである。地位も財産もある人々かもしれないが、地位や財産はいっときの幻想だということを理解していない訳だ。
 政権を担う政治家も、二世三世が多く、地位や財産が永遠のものと勘違いしている。不幸な人には興味がない。困っている人を助けるのが政治だとは思っていない。困っている人々に当てられる予算は雀の涙である。さとくんを生み出したのは、そういう政治家を選び続ける我々なのだ。
耶馬英彦

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