あや

月のあやのネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

終わり方が少し残念だった。
あと演出もあまり好みではなかったけど、磯村勇斗と二階堂ふみの演技は圧巻だった。

改めて身の回りに起きていないこと、メディアでフォーカスされないことは人は気に留めることなく、ないことになってしまうのだと思った。

サトくんの極端な危険思想は少なからず誰の中にも潜在意識で眠っているものだと思う。
だから、障がい者施設は山の中にあって、面会に来る親族もほぼいない。
最初はサトくんも障がい者を人として見ていた。
けれど施設の人達は障がい者を人として見ていなかった。責任感の強さと相反するような精神的弱さから、薬での現実逃避や思想の歪みができたのだと思う。
障がい者の介護は想像を絶する大変さがあると思う。異臭、不潔、暴力。潜在意識では下に見ているはずの障がい者に支配されているような気分にさえなると思う。

サトくんは障がい者は人ではないから殺していいと言った。
でもその発言をしているサトくんは人の心を持っているのだろうか?
発言ができなければ、意思疎通ができなければ
心がないという決めつけはあまりにも自己中心的で身勝手すぎる思想である。
陽子ちゃんがクラブのシーンで言っていた、
言葉が話せても伝わらないやつもいる、というセリフが頭をよぎる。思想を前にすると言葉は意味を持たないツールになってしまう。
そして、障がい者はもちろん人である。人であるための基準なんてものはない。人を自分の自己都合で殺していいということは絶対にない。

この社会は責任の押し付け合いだと思う。
手取り17万円で肉体的にも精神的にも蝕んでいく仕事を誰がしたいと思うか。
でも誰かがしなければならない。そしてしてくれている人の存在によりしていない側の人は日常生活で基本触れることも気に留めることも迷惑を被ることもない。
忘れることができる。でも障がい者の存在を忘れることができるのには障がい者の施設従事者の犠牲を伴っている。でもそのことさえも知ることはない。
この映画を観て、こう感じ取った私もおそらく1ヶ月後には思い出すこともほぼなくなるだろう。
あや

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