チェさん

市子のチェさんのネタバレレビュー・内容・結末

市子(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

「暑いなあ。」

逃げ出したいくらい暑くて怠くて死にそうな夏ってあるけど、『市子』の夏ほど苦しい夏は見たことがない。「暑い、苦しすぎる、もう限界だ、なんだこの物語は」と思っていたところに放たれた『もう限界だったの』というセリフ。すべてがこれに尽きるな。いつも通りの夏の暑さに「もう限界だあ」なんて軽々しく言ってきた自分が恥ずかしくなった。でも、春でも秋でも冬でもなくて、やっぱり夏なんだなと思う映画だった。もう秋に向かっていくただの残暑でも、やっぱり夏って「生きる」って感じなんだよな。木々も虫も全部が全部、生に執着して生を主張しているような季節だから四季の中で夏が1番好き。この映画も、どこかそんな生へのエネルギーを感じた。長谷川がどこかで手にとったセミみたいに。

「他の誰でもなく自分として生きたい」という誰にでもあるえらく人間的なエゴを強く感じさせる映画だった。そんな当たり前のことが難しい環境にある市子の「それでも自分として生きたい」という気持ちはとても人間的で力強さを感じると同時に、めちゃめちゃエゴイスティックでファムファタル的にも見える。でも、多くかれ少なかれ人間ってみんなそんな感じだなととも思うと、市子という特殊事例を通じてすごく普遍的なことを描いている気もした。
この映画に出てくる登場人物のほとんどがエゴを強く感じさせて、みんなしてエゴをぶつけ合ってエゴエゴしてて、もはやなんか逆に人間讃歌な気分になった。

でも、その中で一つだけ、これはたぶんエゴじゃないんだろうなと思うのが、冒頭の市子の失踪。最初に見た時にはやべえやつじゃんと思ったけど、あれだけがこの映画にあって唯一の利他的な行動だった気がする。てか、そうであってほしい。婚姻届を手渡され、白骨化した遺体が見つかったとニュースで流れ、もうダメだとなった末の、長谷川を思っての失踪だと信じたい。でも、そのわりにラストではやっぱり長谷川なしでも市子は生きていくんだなと、その力強さに心打たれた。どうしようもなく生きたいという気持ちに、人間って素晴らしいなの一言。ラストはまじでスタンディングオベーションしたかった。

カメラワークもとてもよかった。とくに長谷川が原付で爆走するシーンのカメラワークが最高だった。全体を通して意図的に不安定なカメラと、意図的に固定されたカメラ。そして、セリフでもあったけど、上下を意識させる映像作り。なんでこんなに足元ばっか映すんだろうという冒頭の疑問がちゃんと解消されたのは嬉しかった。説明的ではないにしろ、映像でもプロットでもちゃんと答え合わせてをしてくれる映画だったので、サスペンス的な謎解き感も難なく味わえた。

『市子』の登場人物は、嫌な言い方をすると、僕が関わってこなかった層の人々だから共感もしないし、自分の人生の何かに紐づけることも差してないけど、とてもいい映画体験だった。
知らないこと、見たことないものは見れたし、そこからとても普遍的な感情にも出会えたし、しみじみいい映画だった。エンドロールの味付けしない感じもよかった。
チェさん

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