中学生の頃、M先生と言う中年の独身の理科の先生がいた。割と小柄でがっちりしたおじさんで、無精ひげを生やして体臭がややきつかったのだが、生徒の頭を脇に抱えて「おまえーっ!!」とふざけるので、生徒達からは割りと避けられていた。
中学2年の時だったと思うが、ある冬の授業の際に、彼が物凄くダサいというか、90年代のクリスマス映画で登場人物が着ているようなセーターを着て授業をしていたことがあって、それを見たときに自分は、彼が地元の洋品店だかダイエーの衣料品売り場だかでそのセーターをまじまじと眺めて、(あったかそうでいいな)と心の中で思ってレジに持っていくところを想像してしまって、何だか彼のことをとても愛おしく思ったことがあった。
この映画を見て、ふとあの先生は元気かな、と思い出しました。
激烈に良い映画だった。なぜ一見穏やかなこの映画で、こんなにも心が動かされるのか。それも激しい感情ではなく、しみじみと抱きしめたくなるような、いつまでも温かく揺れる蝋燭が心の中に灯るような、そんな深い感動。客観的に考えればストーリーは全然後味の良い明るい話ではないし、終わってからもどこか苦い気持ちが消えることはない。でもやはり何よりも美しいものがこの映画にはあったし、それはこの非情な世界にあってこそ、何よりも尊く輝くものだと思う。いや、現実がこの映画と同じくらい非情だからこそ、私はこの世界にもその美しさを信じることができるのではないだろうか。
そもそも主要な登場人物が、生徒達から嫌われている古代ギリシア史の斜視の中年独身教師と、コミュ障気味でいろいろなことを抱えてバランスを崩しかけている不器用な留年高校生、それに息子を亡くした寮の食堂のおばちゃんですよ。彼らが冬休みのハイスクールの寮にお留守番して数週間を過ごすという、普通に考えたらいかにもパッとしないシチュエーション。しかしここにこそ、何よりも美しい心の往来があって、この映画はそれを固着させていてくれることによって、我々がいつでも戻ってこれるようにいつまでもそこにあり続けるんですよね。
傍から見れば確かに冴えない人たちだけど、そもそもそういった一般的には陽の目を見ることのない美しさを現前させることこそ、映画の大切な側面の一つではなかっただろうか?そしてそれは、あの頃よく分からない映画のビデオを片っ端から借りてひたすら見ていた時分に、ザラザラした質感のあの映画群の中で出会った、自分にとってとびきり大切なものだったんじゃなかっただろうか?60年代ヒッピーの夢やベトナム戦争が終わって、アメリカが気まずい現実と向かい合いだした頃の、あの映画たち。
本作は明らかに意図的に70年代の映画の再現前を試みていて、フィルムの質感、あの頃のような街並み、音楽、そしてどこかで出会ったことがあるような温かくほろ苦い物語とどれをとっても、70年代に作られていたあの真っ直ぐに素晴らしい映画たちのひとつとしか思えない仕上がりになっている。最近ではとんと見られなくなってしまった、捻りや衒いもなくただただ素晴らしく温かい物語。この映画そのものの立たずまいとしみじみ沁みる物語とが相俟って、まるっとこの映画そのものが意図的に場違いに現代に存在していることそれ自体が、まさに我々が信じていたのにいつか忘れてしまった”良きもの”を思い起こさせようとしているように思えてならない。
それに加えて、本作を観ていると、スノッブでいけ好かない同級生たちとのハイスクールの寮生活、自らの激しい情動で自壊してしまいそうな青年、雪景色のクリスマス、街の中のスケート場、精神疾患の影、といったいくつもの要素から、私はもうひとつ、自分が同じく昔大切に大切にしていた小説を思い出さずにはいられなかった。そう、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』である。
あの小説ではホールデンが自らの裡に抱える怒りや寂しさ、大切なものへの儚さや愛おしさといったアンビバレンツな感情を持て余しながらニューヨークを独り彷徨い歩き、読者は彼の深い孤独に寄り添うことになる。それは読者にとってひとつの救いであることは間違いないが、とても辛い道行。
一方の本作では、シチュエーションや扱っているテーマはすごく近しいのに、ホールデン独りではなく、主要な登場人物3者がそれぞれに痛みを抱えつつもいたわり合うことで、何というか、少なくともずっとやわらかい微温を保ったままでいられるんですよね。
当時は自分もホールデンと一緒に行けるところまで行くしかないと思っていたけど、ホールデンが大切にしていたフラジャイルなものを保ったままでも、時には誰かに寄り添って、誰かと向かい合って生きていくことはできるよ、とこの映画は優しく諭してくれているように自分は思いました。私自身も人並みに年を経ておじさんになってそう思えるようになってきたので、尚更この映画は、自分にとってものすごく大切なものになりました。
ほろ苦くて、それでいて温かい物語を描かせたら一級のアレクサンダー・ペインだが、本作は頭一つ抜けて完成度の高い一作だと思う。
そういえば中学生の頃のある日、私が部活動中に校舎の周りでF君とふざけていると、何がどう見えたか知らないが急に近隣のおじいさんに怒鳴りつけられて、「今先生を呼びつけてやるからな!」とひどく怒られたことがあった。どうやら2人でじゃれあっていたのが、彼をイジメているように見えたらしい。F君と二人で事情を説明するもなかなか誤解が解けないでいたのだが、そこにたまたま通りかかったのが件のM先生だった。彼はこちらへ歩み寄ると、「私は普段から彼らの関係を見ていますが、そんなイジメをするような間柄ではないですよ」と毅然と、なおかつ優しく申し立ててくれて、誤解を解くことができたのだった。その時M先生を、と言うか先生という存在一般について「嫌な奴ばかりでもないんだな」と偉そうにも自分の中で見直したことがあったのだが、この映画を見るまでずっと忘れていた。
思えば、何かを伝えようという大人と、競争や市場の原理ではないところで子供たちが向き合う学校と言う空間は、きちんと機能していれば、ものすごく意味のあるところだったのかもしれないな、とふと思いました。