現今の精神医療に対する大きな問いを突きつけられるのかと思って覚悟して観に行ったが、そんなに尖った内容ではなく、一つの家族が困難を抱えながら、それでも懸命に幸せに生きようとする様を観たような感じだった。これを映画と呼べるのかも正直よく分からない。そこには純然たるホームビデオとしての家族の様子が映されていて、20年以上に亘って彼らが懸命に藻掻く様子を見ていたのだから、その人達がいなくなってしまうのはほんとうにただただ寂しいという、それが観終わった後のいちばん大きな感情だった。
確かにこの作品の大きな原動力となった監督のお姉さんに関しては、早めに適切な治療を受けられていたらもっと違う人生の在り様もあったのかもしれない。でも、間違いなくお互いに愛を持って生きてきたこの家族に、我々部外者が何を言えるだろう?それに我々の家庭にだって、人に言えない葛藤の一つや二つ、あるものでしょう?
ただ一つ、この家族が我々と違ったとすれば、弟さんが映画学校に通って、家族の様子を映像に収めようと思ったことくらいなのではないか。撮影者の切実な愛があればこそ、この家族の断片的な映像群は何か特定のメッセージに向けてアレンジされたものではなく、難しい状況に陥ったり楽しいことがあったり、という在りのままの姿が時系列の順序通りに映し出されていく。だからこそ、私はこれは厳密には「映画」ではないように思うし、一方で何よりも美しい家族の姿を本質的に捉えているのではないかと思う。ジョナス・メカスの『ウォールデン』はもっともっと抽象化して、彼自身の家族の個別性が見えなくなるくらいまで薄めていたと思う。一方こちらはカルピス原液そのままみたいな濃度。
この複雑な状況に陥らずに済む道もあったのではないか、と思わざるを得ないところもあるが、でもだからと言って彼女自身がこの家族と一緒に過ごせたことが幸せでなかったなどと言うつもりは、私には毛頭ない。みんなただ生まれて、家族ができて、色々悲しいことも嬉しいこともあって、死んでいった。ただそれだけのことだよ。
色々な感想を読むと両親の対応を非難する色合いの強いものも少なくなかったが、私はこの両親は、間違いなく彼らなりにできるやり方で、子供たちのことを愛していたと思う。親って言ったってそれぞれ一人の人間なんだから、不器用だったり理解がなかったりするのはザラにあることだけど、そんな人達がお互いに自分たちの生き方を見出そうとする試みが「家族」ってものなんじゃないかと私は思う。
しかしこのお姉さんの症状はやっぱり統合失調症だったのかなぁ。私も全くの門外漢だが、このお姉さんの場合は、映される言動や仕草を見ても、その裏にあるコンプレクスというか、抑圧されたものが痛いくらいに分かるような気が、少なくとも私にはしました。それはもしかすると、私のほんの少しだけ似通った境遇から来るものなのかもしれない。でもだからこそ他人事には思えなかったし、この両親のことを責める気にも到底なれなかった。相手のことを愛してるのに伝え方が不器用な人っているものだし、私はそういう人にも家族の幸せを願う権利はあると思っている。
それまでずっとギラギラしていたけど投薬によって少し落ち着いたお姉さんが、カメラを向けられるとピースをしたりポーズを取ったりできるようになったのを見た時には、本当に心から「よかったねぇ」と思えた。それまでは厳重に鍵を掛けられて禄に外にも出れない状態だったのが、色々なところを旅行したり、写ルンですで花火や家族の写真を撮ったり、札幌のハンドメイドグッズの即売会のようなイベントを訪れて、作家さんから好きな占い関連のグッズを買ったりしているところを見られたのも本当に嬉しかった。
生活感ムンムンの家の中で彼らが過ごす映像ばかり見ていると、こちらも何か家族成員の一人になったような気がしてくるんですよね。自分もこのお姉さんの兄弟になって、彼女の葛藤を見守り続けて、彼女をそのまま見送っていったような、今まで味わったことのないタイプ映像体験だった。また一方で前述のように、ここには「家族」という枠組みで生きることの本質が捉えられていたと思う。回収されることのない事故を見たような、癒着することのない傷そのものを見たような。家族の中で生きるって、ほんとはそういうことなんだと思う。
この映画を観て色んな感想を言う人が沢山いると思うけど、その中でも、少なくとも私はこう言っておきたい。
彼らは間違いなく懸命に生きていたし、それは何よりも美しい家族の姿でした。