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オンリー・ゴッドのkkmovoftdのレビュー・感想・評価

オンリー・ゴッド(2013年製作の映画)
4.5
デンマーク出身の監督、ニコラス・ウィンディング・レフンによる2014年の作品。前作『ドライブ』が世界的なスマッシュヒットとなり、この期待を受け、前作同様にライアン・ゴズリングを主演に据えての次作。これがまぁ大変な作品。
前作『ドライブ』は寡黙な運び屋ドライバーがトラブルに巻き込まれた母子を助ける、という分かりやすいストーリーにメリハリのついたバイオレンス演出、またKavinskyやcollegeらによるクールでキャッチーな音楽によって、或る意味分かりやすい映画となっていたのに対して、今回の『オンリー・ゴッド』はそこから耽美と暴力だけを取り出してナンプラーと経血で塗りたくったような、アブラニンニクマシマシカラメのコッテリ作品でした。しかしそれでいてとてつもなく美しい作品であるというのは、やはりレフン監督だからこそ為せる業か。

ストーリーはバンコクでムエタイジムを経営しながら裏でドラッグビジネスを手掛ける兄ビリーと弟ジュリアン(ライアン・ゴズリング)がいて、ある日ビリーが内なる衝動を抑えきれずに16才の少女を惨殺するところから始まる。これにバンコク警察の警察官チャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)の手引きによる少女の父親の報復としてビリーが殺されるのだが、ここにとんでもなく口の悪い兄弟の母親クリスタル(クリスティン・スコット・トーマス)が加わり、暴力に次ぐ暴力の血みどろ報復合戦となり、その合間にちょくちょくチャン警察官の歌謡曲カラオケが挟まる、という何とも不思議な展開。

性的なもの、あるいは暴力的なものとしての内なる衝動、これは本作における一つの大きなモチーフだと思う。ビリーはこれに抗えずに少女を惨殺したし、ジュリアンは性的に不能であるらしいのだが、しかしそれ故にこそ暴力でしかこの衝動を発散させる術を知らず、また彼らの母親も出会う人全てを口汚く罵る地獄の焔のような気性の持ち主。
ジュリアンの不能を示唆するシーンもとても象徴的で、ジュリアンのお気に入りのプレイは、自らを椅子に縛らせた上で、女性が目の前で一人で果てるのを神が愚かな人間を慈しむような目でひたすら見つめる、というもの。またあるシーンでは、気に入った女性にすだれ越しに拳を差し出し、それを女性に両手で包み込んでもらう、という直球の妄想をしているのだが、その後話しかけてきたチンピラを問答無用でボコボコにしたりする。まぁ惚れ惚れする程の倒錯。倒錯オリンピック一等賞ですね。

一方で、これに対抗する警察官のチャンも相当に不思議なキャラクターで、終始無言で静かにゆっくりと歩き、悪人を捕まえた際にはその場で跪かせた後、制服の背中から刀をシュイッと取り出して圧倒的な暴力で裁きを与える。「いやこれ私刑やんけ」とか「そもそも歩くとき背中に刀ある素振りなかったやろ」といった真っ当なヤジは野暮というもので、彼はこの映画における、裁きを与える神の役回りなのだと思う。ムエタイジムに現れた際にはファイター達が拝みに来るし、立ってるだけでその辺の爺さんがお茶を供えに来たりもする。そして圧倒的暴力による裁きの後に必ず入る彼のカラオケシーンは、罪による穢れの浄化や、裁かれた悪人へのレクイエムや祝祭が混然一体となったものなのではないか。

そう、この映画はバンコクの猥雑な町並みを写しつつも、極めて神話的、またオイディプス的な去勢コンプレクスを扱った映画なのだ。主人公ジュリアンの性的不能は勿論だが、母親クリスタルもジュリアンの彼女に対して、あけすけにビリーとジュリアンの性器のサイズについて語り(ジュリアンのも悪くなかったけど、ビリーの方がものすごくデカかったんですって)、母親とビリーの仲にジュリアンは嫉妬していたとも言う。一方で物静かなビリーが唯一大声を出すのがこのシーンの後に彼女が母親をディスった時という、なんとも分かりやすくオイディプストライアングルな構図。

こんなテーマをバンコクを舞台に扱う、というのは相当に無茶なことだと思うが、それを可能にしているのが、一目で彼の作品だと分かるその過剰なまでにビビッドな色遣いと、徹底的にコントロールされた静と動のコントラスト。彼は体質的に色覚が他の人達とやや異なっているらしく、青と赤で美しく彩られた画面はどこか浮世離れの感を抱かせる。またとても静かに抑えられたシーンにいきなりとんでもない暴力が現れる、というのも前作『ドライブ』からあった要素だが、本作ではこの演出も更に強化されており、無であったところに突如圧倒的な暴力が顕現する様は、やはりどこか神話的な印象を与える。これはあれだ、Led Zeppelinの"How the West Was Won"の冒頭で「移民の唄」のイントロがいきなり爆音で現れる感じに似ている。余計分かりにくいか。

リビドーの化身のような母と息子、これに対する裁きの神としての警察官。その力の拮抗は静かに、しかし着実に過激さを増していくが、その終着点は一体どこなのか。そして果たしてジュリアンは、母親の愛を取り戻すことができるのか。本作ではストレートにオイディプス的な方法で、且つ非常にグロテスクな形での解決が為され、やはり最後には、チャン警察官のカラオケが朗々と鳴り響く。本作の邦題は『オンリー・ゴッド』だが、原題は"Only God Forgives"であり、『神のみぞ許し給う』といったところか。

正直ものすごく人を選ぶ作品だと思うし、見ていて気持ち良くなれる映画ではないけれど、私はとても好きな映画。

本作の制作中の様子については、彼の妻であるリブ・コーフィックセンによるドキュメンタリー『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』で垣間見ることができる。
本作のために一家揃ってバンコクの高層マンションに移り住んで制作に臨んだようだが、レフン監督が自身の前作『ドライブ』の栄光に引きずられ、「今作は『ドライブ』のようには売れないだろう」「本作は理解してもらえないだろう」とひどく苦悩しつつ、撮影に入ってからも「この映画の全体像が掴めない」と手探りで試行錯誤を重ねながら映画を作り上げていく様が映し出される。また家族ぐるみの付き合いをしているアレハンドロ・ホドロフスキーにタロット占いをしてもらうシーンもあり、ホドロフスキーからは「成功は忘れて、自分のやりたいことをやりなさい」と助言を受ける。うーん、やはりホドロフスキーはよく分かっている。出来上がった作品を見ると、徹頭徹尾寸分の迷いもなくレフン色で染め上げられているように思えるが、こんなにも苦しみ迷いながら制作していたとは。しかし、ホドロフスキーはタロット占いもできたんですね。マジで何者なん、ホドロフスキーって。

本作は前作『ドライブ』に比べて確かにキャッチーさはなく、またバイオレンスシーンもより激しくグロテスクになってはいるが、私は一つの作品として本作の方がよっぽど遠くまで辿り着くことができていて、完成度は非常に高いと思う。レフンは本作の後、2016年に『ネオン・デーモン』を制作し、2019年にアマプラのテレビドラマ『トゥー・オールド・トゥ・ダイ・ヤング』を撮った後は何をしてるのかなと調べてみると、ネットフリックスで制作したドラマ『コペンハーゲン・カウボーイ』を今月公開したみたいですね。日本版ウィキペディアにはこの後にHBOで『マニアック・コップ』制作との記載があるが、どうやらあの1988年のカルト映画『マニアック・コップ/地獄のマッド・コップ』をリメイクするらしい‼これは非常に楽しみ。
今後も彼の活躍に期待したい。
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