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イニシェリン島の精霊のkkmovoftdのレビュー・感想・評価

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
4.3
【ネタばれ含みます】

『スリー・ビルボード』が衝撃的だったマーティン・マクドナーによる新作『イニシェリン島の精霊』。前作が凄く良かったので彼のことはフォローしていての今作だが、やはり今回も良い映画だった。しかしながら、基本的な構図は前作「スリー・ビルボード」と同じだったと思う。

タイトルの「イニシェリン島」という島は実在しないらしいのですが、「イ二シュ」というのはアイルランドの言葉で「島」という意味らしくて、「イ二何とか島」っていうのがこのアラン諸島にはたくさんあるらしいですね。町山智弘が触れてました。(※1)撮影も「イニシュモア島」というところで行われたらしい。あとは岡田斗司夫が語ってたところによると、『魔女の宅急便』で猫のぬいぐるみを届けに行ったおうちがこの島をモデルにしてるんですって。(※2)鈴木敏夫の『仕事道楽-スタジオジブリの現場』という本に記述があったらしい。岡田斗司夫はあまり好きじゃないが貴重な情報だと思ったので触れておきます。

明確な悪意ではなく、ちょっとしたボタンの掛け違いによってすれ違いが大きくなっていくこと。そのこじれが行くところまで行ったら、大いなる炎によってその状況は臨界を迎えること。あとは皆が傷ついた後で、一時的に穏やかな時間が訪れること。何も解決したわけではないが、最悪の時に比べれば、そしてもしかすると最初の頃よりも少しだけ光が差しているかもしれなくて、それで終わり。人生においてとびきり明確な光が差すことなんて、普通は信仰による大ジャンプくらいでしか起きなくて、そういう意味でもラストに淡い光が差すだけ、というのは非常に真摯な姿勢だとおもう。前作も今作もそういう話だったが、地に足を着けて真摯に辿り着く場所を探した、良い物語だったと思う。

残虐な事件、でっかい3つのショッキングな看板からスタートした前作に比べると、今回の舞台のスケールは小さくてとても戯曲的な作りで、まさに劇作家出身の監督の面目躍如といったところ。前作のような派手さがない分、人々の細やかな機微の解像度は段違いに高かったと思う。
人の良い兄ちゃんのコリン・ファレルが傷ついていく様は、ほんとに可哀想で見ていられなかった。「お前の話はつまんねぇからもう遊ばない」とか言われたら、誰でも傷つきますよね。好きな人に傷つけられて辛い、でもまだほんのちょっとだけ信じたい、みたいな微妙な心情を絶妙な顔で表現していて、これはアカデミー俳優賞、あるかもしれませんね。

まぁ今作もショッキングシーンがないことはないが、指を切っちゃうのは前作でいう殺された娘さんのポジションかなと思う。話を推進するマクガフィンとしての役割。それで言うとジェニーの死は前作でのウディ・ハレルソン演じる警察署長の死で、ドミニクの死は悪徳警官としてのサム・ロックウェルの死か。徹底的な喪失を経験するための死と、物語を、終局の光が差す方へ向かわせる死。もしかするとドミニクは、コルムの代わりに死んだのかもしれない。

そしてやはり今作でも思ったのは、マーティン・マクドナーにとって動物の視線、動物との触れ合いには、何か特別な意味がありそうだということ。前作でもものすごく悲惨な状況のなかで、ふと鹿が草を食んでいたり、絶望的な家の中を亀がノソノソと歩いていたりといったシーンが唐突に挿入されてて、これは絶対意図があって入れてるシーンだと思ってたけど、今作を観て確信しました。
余裕のない人々がマウント合戦しているなかで明らかに一番優しくて尊いのはロバのジェニーだし、それ以外にも牛や鳥など、どうしようもない対立のシーンに動物だけが物言わず優しい目線を投げかける。コリン・ファレルが死んだロバを家の中で抱いてうなだれていて、窓の外から馬が優しく覗き込んでいるシーンが、本作の中で一番優しいシーンだったと思う。

この島では、それぞれ皆が狭隘な物差しでもって、自分より上か下かでランク付けをしている。話下手でみんなから爪弾きにされるドミニクはおそらくその最下層に押しやられていて、警察官や芸術家は上位に位置し、更にその上には聖職者が来る。おそらくこのピラミッドの最上位には神が鎮座しているのだろうし、皆口にするまでもないが動物なんかは、その最底辺なのだろう。そして一度下だと思った人との間には、真摯な、双方向のコミュニケーションが成立することはない。
でも本当に神に仕えていたり、物事の知識が多いことだけが評価基準なんだろうか。聖職者にしたところで、したり顔で「同性に恋愛感情を持ったことは?」とか聞くくせに、自分が聞き返されると「よくも神父に向かってそんなことを!!」と激怒するような人ですよ。固着した価値観で延々とマウントを取り合っているこの島で、先述の爪弾き者、ドミニクだけが相手に対して、素直に好きだよ、と伝えられていたと思う。彼が湖のほとりで好きな人に告白するシーンは、本当に良かった。純朴で不器用な感じと痛々しさが、本当に素晴らしかった。ドミニクを演じるバリー・コーガン(キオーガンが正しいのか?)はマジで名優だと思う。

島の皆と同じ価値観に沿うならば、小さいロバが死ぬことなんてほんの些末なことなのかもしれない。
「小さなロバの死なんて神が気にすると思うか?」「しないだろうな。」
でも本作を観た人ならば、大切にしていた、唯一の友達だったかわいいロバが死んでしまうことがいかに辛く大事なことかは、言うまでもなく明瞭な事実だと思う。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。」
チャンドラーが『さらばいとしき女よ』でフィリップ・マーロウに言わせていたように、どんなに崇高なものを追いかけているつもりでいようと、目の前の人や生き物たちに優しくできないようでは、私はこの社会でみんなと寄り添って生きる資格はないと思う。もしも独りで孤独に神を、芸術を追い求めたいのであれば、「耳と目を閉じて、口を噤んで孤独に暮ら」すべきだと思う。真摯に取り組んだ作品が他人を傷つけることはあるにしても、その創作行為自体に特権意識を持って、他人を直接的に傷つけることは許されない。

最後に、これも町山智弘が先に触れた出典で言及しているところによると、監督マーティン・マクドナーは「ガーディアン」誌のインタビューで「これは恋愛関係における別離を描いている」と語っているそう。対岸で繰り広げられるアイルランド内戦らしき様子といい、何かが見えたと思ったらその向こうにも新たな何かが見え隠れするように、重層的にレイヤーが積み重ねられた素晴らしい映画だったと思う。


※1
https://youtu.be/b4gfWncYdFY
※2
https://youtu.be/yddtWB4-0_8

『イニシェリン島の精霊』:お前は誰となら話すのか|kk_note #note #映画感想文 https://note.com/ntkotd/n/n95a6345212f7
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