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悪は存在しないのkamioriのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

 高橋を締め上げたのは、「人間と自然のバランスを取らなければいけない」という巧のドグマに基づいていたんじゃないかな。
 花を襲ったのは鹿だけど、その鹿を凶暴にしたのは人間の狩猟行為。だから巧は人間の側に制裁を加える必要があると判断したのでは。

 制裁の対象が高橋であることに意味はなかったのだと思う(高橋が自然の側の存在ではない前提だけども)。
 村長が語っていた「川上の行為は川下へと帰る」という言葉を巧はメモしていた。
 行為の結果は自分の知らないところでもたらされることがある。裏を返すと、何の理由もなく被害を受ける存在もいるということだ。高橋はたまたま川下に立っていた。ただそれだけのことだと思う。
 巧はしなければならないことをしたというだけで、その解釈において、この物語には「悪は存在しない」。強いてあげるならば、鹿を撃った猟師こそが悪ということになるかもしれないが、その猟師も物語の中では登場しない。

 と言いつつ、この解釈だと神秘的すぎでちょっと腑に落ちないところもある。
 巧はおそらく妻を失っていて、それに加えて花もこのような目にあって、単に理不尽に耐えられなくなったということもあるのかもしれない。バランサーであることに努めてきたが、そもそもバランスという概念自体が不全なのだとすれば、巧が役割を放棄し、その反動で破壊衝動に駆られるのもわかるような気がする。
 「どこかでぶっ壊れるかもしれない」という予感は、人間誰しもが持ち合わせているんじゃないかな、と思う。

 巧が花を発見してからの映像は解釈が難しい。おそらく複数のレイヤーが存在していると思う。
 補助線になりそうなのは、ラストに至るまでの映像で鹿が映されたのは花の夢の中だけという点だ。それを踏まえると、ラストのシークエンスにおいても、鹿が映ったショットはすべて花の空想かもしれない。
 ただ、そうなると巧は手負の鹿が花を襲ったとはすぐにはわからないはずなので、高橋を突然襲うのは不自然。倒れている花と、その近くにいる鹿を見たところまでは現実と考えるのが合理的かもしれない。

 花が鹿と対峙して帽子を脱ぐ行為も印象的だった。巧も説明会で同じことをしていた。
 巧は自分達が中立な存在であると語った際に帽子をとっていた。花も同じなのだとすれば、暴力にさらされた鹿に対して、それは人間の敵意によるものではないと示したかったのかもしれない。
 しかし花が鹿に襲われたということは、その歩み寄りは失敗に終わったということになる。その裏返しとして、巧と高橋の関係も破局したという見方もできるのかもしれない。

 作品の構成としては、序盤は巧たちの自然に囲まれた暮らしに焦点があたり、中盤はプレイモードの二人が水挽町の人々に寄り添おうとする様子がいくらか滑稽に描かれる。そして終盤にあの悲劇が起きるわけだけれども、中盤の滑稽さと終盤の悲劇の不釣り合いがなんとも不気味で、そのことが鑑賞後の置いてけぼりにされたような感覚につながっている気がする(「寝ても覚めても」でも同じ経験をしたことを思い出した)。

 映像はどこか第三者的というか、超越的な存在が人間を観察しているようにも思える。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」は海が人間をまなざしているように思えたけど、本作では森が静かに人間を観察しているようだった。

 本作が制作された経緯もあってか、濱口さんの作品にしては劇伴が多く使われている。それでもその音がノイズに感じられる場面は一つもなくて、相変わらず澱のない、ずっと見ていられそうな映画でした。

 大美賀さんの不器用でマイペースな演技、とても好きでした。もともと制作スタッフであり、「義父養父」の監督さんであると知って驚きました。こういう人生もあるんだな。クレイジージャーニーでれそう。
 高橋の上っ面で迎合するスタイルは他人事と思えなくて、いたたまれない気持ちになりました。

2024年19本目
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