あおは

52ヘルツのクジラたちのあおはのネタバレレビュー・内容・結末

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

題名がすごくオシャレだなと思うし、クジラたちというところに希望も感じる。
52ヘルツのクジラは海にたった1人で、他の誰にもその声は届かず、世界でいちばん孤独なクジラ。

杉咲花演じるキコも当時は母親の呪いのなかにたった1人いて、親にもっと自分の声を聞いてもらいたかった、親にもっと愛されたかったという52ヘルツの声は死のうとするまで誰にも届かなかった。しかし自殺を止めてくれた安さんとの出会いによって、キコの人生は180度変わっていく。

「新しい人生を生きてみようよ」
「生きたい」

このセリフは予告のときから泣けた。やはり人が痛みのなかでも生きようとする姿は胸を打つものがある。
痛みに寄り添い心の奥を撫でてくれるような優しい安さんの声。声の柔らかさも言葉選びにも優しさが滲み出ていて、包み込まれるような安心感があった。
安さんがキコの痛みの声を受け取ってくれたことで、キコは人生が変わり、そして次は島で虐待を受ける少年の声を受け取って助けようとする。こうして人は痛みの先で優しくなることができ、こうして繋がっていくのだなと思うと泣けてくる。

今作を観ていて肉体的にも精神的にも痛みを受ける箇所がいくつかあり、殴られて痛かったり気持ち悪くて吐いたり辛くて泣いたり怒りで腹が焼けそうだったり、肉体というのはどれだけ助けたいと思っても別の人間だから痛みを背負えるのは本人だけだけれど、精神的な痛みは一緒に背負ったり抜け出したりしようとすることができるのだなと思った。

志尊淳演じる安さんと宮沢氷魚演じる新名はどちらも優しい人物として描かれはじめていて、安さんの優しさは安心して身を任せられる優しさなのに、新名の優しさはどこか疑ってしまう。この優しさの描き分けも上手いなと思った。でも何となく新名が良くないやつってことは話の展開的にも分かるよね。

安さんの結末が本当に切なくて泣けた。
どうして美しい心があれない世界なのだろうとこの世を嘆くような気持ちになった。
ホテルらしきところで安さんが母親と再会し、自分が男性であることがバレてしまったときの、顔の歪みと慟哭は本当に胸が痛かった。それまでは天使のように優しい安さんがずっといたから、崩れ落ちていく様子は人が人でなくなる瞬間を見ているような、そんな衝撃があった。
自殺してしまいそれを発見するシーンも、自殺することは分かっていたはずなのに、目を背けたくなる痛みが走ったし、やるせない気持ちになった。
いちばん泣けたのは遺書の言葉。
「どうかキナコと別れてください。それができないならキナコだけを見て、守ってあげてください」
「彼女を幸せにできると言えない自分が悔しい」
安さんの言葉は相変わらず優しさもあったけれど、そこには強くキナコの幸せを願う思いと自分が魂の番(つがい)だと言えない悔しさが綴られていて、はっきりとした強さが込められており、そこにのせられた52ヘルツの声はたしかに観客に届いたと思うし、キコにも届いたし、込み上げてくるものがあった。
また、自分の声を受け取ってくれた安さんの声を自分は受け取ることができなかったというキコの後悔も苦しかった。

自分のことをムシと呼ぶ少年が最後海で「キナコ」と呼ぶシーンも泣けた。
心の底から湧き上がってくる声だったし、名前を持つことはとても尊いことで、名前は人に呼ばれるためにあり、それはつまり人と繋がっていることなのだと感じた。
一度死んだ人の心を蘇らせるのも人の心なんだね。

親がすべてを受け入れてくれるのが子どもにとっては最高の救いなのだろうけれど、そうではなくても52ヘルツの声が届く場所は世界のどこかにあり、受け取ってくれる人がいるから人は繋がれて優しくなれて生きていけるのだと思った。
その繋がりこそが人を生と結びつけている。

程度の差はあれど、誰しも52ヘルツの声を持っていると思う。その声は今は届かずに胸の奥で鳴っているだけだけれど、それが届く日がいつかきっときて、だから人は分かり合えるのだと思った。
あおは

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