ナガエ

52ヘルツのクジラたちのナガエのレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
-
何にせよとにかく、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルが絶妙だなと思う。この作品はもう、このタイトルで”勝ってる”って感じがする。厳しい言い方をすれば、本作で扱われる様々なテーマは、「現代的な問題のごった煮」みたいなところがあって、その点に関して色々と意見を持つ人はいるような気はする。ただ、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルであることによって、作品としては完璧に成立しているし、間違いなく”勝ってる”と思う。

全然関係のない話から書いておくと、僕もずっと「52ヘルツで啼いているクジラ」みたいなものかもしれない。20歳ぐらいの頃から、もう20年近くずっと、本やら映画やら色んなものを対象にあーだこーだ文章を書いてきた。たぶんそれらは、一般的には「共感」から遠いものだと思う。僕は自分の感覚が「世間一般」からズレていることを自覚しているし、また、「世間一般」からの共感を求めて文章を書いているわけでもない。

そうではなくて、僕は割とずっと、「この声って、聴こえてる?」みたいな感覚で文章を書いてきたなと思う。

「52ヘルツのクジラ」と呼ばれる個体が本当に存在するのかは、僕は知らない。映画では、そのクジラについて、このように紹介されている。

【この52ヘルツのクジラの鳴き声は、あまりにも高音で、他のクジラたちには聴こえない。
だから、「世界で一番孤独なクジラ」って言われてるんだ。】

僕の文章もきっと、52ヘルツの鳴き声みたいなもので、まったく誰にも届いていないなんてことはさすがに思っていないが、大体の人にはきっと「聴こえない」んだろうなと思う。別にそれは全然いい。聴こえない人に聴いてほしいなんて思ってるわけじゃないからだ。でも、僕が紡いだ「52ヘルツの文章」がたまたま聴こえる人がいるのだとしたら、それはとても嬉しい。わざわざ聴こうとする必要はないが、僕の「52ヘルツの文章」がたまたま視界に入り、それが心までずぎゅんと届くのなら、それはとても嬉しいことだ。

極論すれば正直、もはやそのためだけに生きているみたいなところさえある。あまりにも「生きていてやりたいこと」が無さすぎるのでね。

そして僕自身も、無理に聴きにいこうとはしないのだが、「もしかしたら、この声は僕にしか聴こえていないんじゃないか」みたいな何かをキャッチしたら、その声に耳を傾けたいなといつも思ってはいる。世の中には、色んな形で「苦しみ」を抱えている人がいるが、「声の大きな人の声」や「世間が拾いたがっている声」なんかは割と届く。それらももちろん「苦しみ」で、しんどくて、その苦しさを抱える人には唯一無二の辛さだとは分かっているのだけど、でも、「僕以外にも聴こえる人がいる」のであれば、出来るだけ意識的に無視するようにしている。僕は、僕自身のリソースの少なさを自覚しているので、その少ないリソースを割く決断は出来ない。

でも、「あれ、もしかしたらこれは、今、僕のところにしか聴こえていない声なんじゃないか」と感じた瞬間には、ちゃんと行動できる人間でありたいとは思っている。その時には、自分のリソースの大半を吐き出すぐらいの覚悟で事にあたってもいい、と今の僕は思っている。まあ、実際にそんな風に行動出来るのかは分からないけど。

たぶん、色んな周波数で助けを求めている声があって、聴こえたり聴こえなかったりする。本作は「52ヘルツ」の物語だが、世の中には違うヘルツの叫び声がたくさんあり、それぞれに物語があるというわけだ。

「聴こえない」というのは、「声が存在しない」ことを意味しない。自分の周りにも、「52ヘルツのクジラ」がいるかもしれないのだ。このタイトルは、そういう想像力を喚起してくれるし、多くの人がそういう想像力を持ち、周りの声に耳をすませることで、今まで聴こえなかった声が聴こえるようにもなるかもしれない。

そんな微かな希望も感じさせる、素晴らしいタイトルである。

しかし、正直なところ僕は、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルの映画を観に行ったわけではない。実際には、杉咲花を観に行ったのである。

最近観た映画『市子』は、衝撃的だった。まさに「杉咲花にしか演じられない役柄」だと感じた。そして本作でも、さすがに『市子』ほどではないにせよ、やはり杉咲花の存在感が際立つ作品だったと思う。ホントに凄いな、杉咲花。

これは、役者からすれば全然褒め言葉ではないことは重々承知で書くのだが、杉咲花は「不幸が板についている」という感じがする。「そういう印象の役者だ」ということになると、明るい役をやりにくくなるだろうから、役者からすればこんな見られ方はマイナスでしかないだろうが、『法廷遊戯』『市子』『52ヘルツのクジラたち』と立て続けに彼女の出演作を観ている僕としては、とにかくそういう印象が強い。

女優・杉咲花がどういう人物なのかは別にまったく知らないが、杉咲花が役を演じる時は、その役の内側から「不幸」が滲み出ているような印象がとても強い。だから、笑っていても、どこか淋しげに見えるのだ。何をしててもずっと、「魂がくすんでいる」みたいな感じがして、そんな風に見える杉咲花の演技力に毎回驚かされてしまう。

本作もたぶん、正直に言えば、杉咲花が出てなかったら観なかったような気がする。それは、先程の「52ヘルツ」の話ではないが、「たぶんみんなが観るだろう映画だから」である。本屋大賞受賞作が原作であるこの映画は、その出演俳優の豪華さや監督の知名度などもあり、最初から注目度が高いと言えるだろう。となれば、その「声」を僕が聴かなくても、まあ誰かが聴くだろうと考えてしまう。昔から、本でも映画でも何でも、物事を選ぶ際にはそういう「みんなが選びそうなものは選ばない」という天邪鬼なやり方を続けてきた。

だからたぶん、杉咲花じゃなかったら観なかっただろうなぁ。それぐらい僕にとって、「杉咲花が出演している映画」というのは引力が強いというわけだ。

僕も、誰かにとってのそういう「引力」になれたらいいなと思ったりもする。

ざっくり内容を紹介しておこう。

三島貴湖(キナコ)は、東京から海辺の町に引っ越してきた。彼女が住む一軒家を修理にやってきた工務店の人から「元風俗嬢ってホントですか?」と聞かれてしまうぐらい、彼女の存在は地域で噂になっているそうだ。その噂の一部を工務店の人から聞き、キナコは「半分当たってる」と返す。

雨の日。古傷のせいで地面に横たわってしまったキナコに、傘を指してくれる子どもがいた。まったく喋らないが、ずぶ濡れなので、とにかく家に連れて帰り風呂に入れてあげようとした。しかし、服を脱がせると体中に凄いアザがあった。男の子は逃げ出してしまうが、自身も子どもの頃、母親からよく殴られていたキナコは、その男の子のことが放っておけない。工務店の人から、近所の店で働くシングルマザーの子かもしれないと教わり話に行くが、けんもほろろの扱いを受ける。

キナコはやがて少年と再会、そして、「52ヘルツのクジラの鳴き声」を聴かせてあげる。辛い時に聴く、大切な人からもらった鳴き声なんだ、と。

3年前、キナコは義父の介護に疲弊していた。ある事情から母親に罵倒されたキナコは、そのままフラフラと道路を歩き、轢かれそうになる。そのキナコを救ったのが、塾講師の岡田安吾だ。岡田は、キナコの高校時代からの友人・見晴と一緒に働いており、明らかにおかしいキナコをとりあえず飲みに連れていき、話を聞くことになった。

キナコの壮絶な状況を知った岡田は、キナコをそのしんどい境遇から救い出そうと決意する。とりあえず、義父の介護から解放し、実家から独り立ちさせるのが先決だ……。

というような話です。

冒頭で触れた通り、本作は「現代的な問題のごった煮」みたいな作品であり、そのような内容であることについて批判的な感覚を抱く人もいるように思う。正直なところ、僕も、「これは詰め込みすぎかなぁ」と思ったりした。実話が基になっているのならともかく、そうでないなら、これだけのテーマを詰め込むのは、ちょっと過剰に感じられてしまう。

ただ、「こういうテーマが詰め込まれている」という情報として知ると過剰に感じられるが、映画を観るとその点についてあまり違和感を覚えないのもまた事実だ。何がそうさせているのかはよく分からないけど、少なくとも映画では「キナコの問題」と「少年の問題」にメインの焦点が当たっているという構成が良かったんだと思う。他にも色々あるのだけど、それらは「プラスαの要素」という感じがして、その強弱の付け方が上手かった。

あとは冒頭でも書いた通り、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルが、作品で扱うすべてのテーマを絶妙に取りまとめている感じがあり、やはりこのタイトルのお陰で違和感が薄れているという言い方も出来るだろうなと思う。

個人的に良かったなと感じるポイントは、キナコと岡田安吾の関係が、「大ヒットを求められているだろう映画」にしては淡白に描かれていたこと。これは僕の勝手な印象だが、「大ヒットが求められる邦画」であればあるほど、「恋愛要素多め」みたいな感じになりがちだと思う。本作も、全体の描き方次第ではそういう方向に振り切ることだって出来ただろう。しかし、そうしなかったお陰で、本作が最も伝えたいはずのテーマがきちんと浮かび上がっているように思う。もちろん、「恋愛要素多め」に”することが出来なかった”みたいな性質の作品でもあると言えばあるのだが、とにかく、キナコと岡田安吾の関係性が僕的に良い塩梅で描かれていたことが良かったなと思う。

しかしやはり、杉咲花が素晴らしかった。これからもたぶん杉咲花が出てると観ちゃうだろうなぁ。若手の俳優だと、ずば抜けてるように僕には感じられる。あとは松村北斗。本作とは全然関係ないが、松村北斗も、若手の俳優ではちょっとずば抜けてる感じあるんだよなぁ。この2人が出てると、結構観ちゃうな。
ナガエ

ナガエ