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アイアンクローのIMAOのレビュー・感想・評価

アイアンクロー(2023年製作の映画)
4.5
僕は体を動かすのは好きだけど、球技とか格闘技にはあまり触れてこなかったし、その素養もないと思っている。そんなプロレス音痴の僕でもこの映画はとても心に沁みた。この映画は単なるプロレス礼賛ではないし、ありきたりな家族愛についての映画でもない。その両方の間に横たわる光と闇を、とてもシンプルに見える手法で、描いた作品だと思う。

1980年代にプロレスラーとして活躍したフォン・エリック・ファミリーの物語。元AWAヘビー級世界王者フリッツ・フォン・エリック。彼は巨大な手でレスラーの顔を鷲掴みにする「アイアンクロー」という必殺技で有名な選手だった。そしてその次男ケビン、三男デビット、四男ケリー、五男マイクたちもレスラーとして活躍してゆくのだが…

このファミリーは「スポーツ界のケネディ家」とも呼ばれ「エリック家の呪い」としてプロレス界では語り継がれた話だそうなので、あえて書いてしまうが、この兄弟は次男のケビン以外は、事故や自殺により亡くなっている。実際には六男がいて、その人も亡くなっている。それゆえに「呪い」として語られているのだが、その背後にあったものはなんなのか?そこにこの映画のテーマがある。

今のアメリカからは想像できないかもしれないが、80年代のアメリカは圧倒的な経済力とパワーを感じさせる国だった。しかし、その背景にあったのは極端なマチズモといでもいうべきものだった。その象徴の一つがプロレスでもあったと思う。プロレスはある程度の段取りの中で「演じられる」スポーツだ。それを一概に否定するものではなく、ある意味演劇や映画の芝居に近い世界だと思えば良い。観る者と演じる者との間に共有されたルールがあり、その中での「フィクション」を楽しむものだ。そのためにレスラーたちは極端なまでに筋肉を肥大化し、過剰なパフォーマンスを行う。
悪役レスラーとして活躍したエリックは、息子たちに対しても「世界一になれ」と常にハッパをかけ、息子たちもその期待に応えようとする。その象徴として息子たちはエリックに何か言われると、必ず「Yes! Sir!」と答える。だが、個々人の能力には限界があり、精神的にも肉体的にも追い込まれてゆく。その背景にあるのは「男は強くあるべき」という歪んだマチズモと、アメリカが世界で一番豊かである、という幻想だ。
この様に書くとエリックは単なる「毒親」の様に思えるが、映画で描かれたエリックはとても魅力的な人物でもある。子供のことも妻のことも(彼なりに)愛しているし、家族の絆こそが大切だと思っている。ただ、彼は子供たちが本当に助けが必要な時に助けることをしない。次男のケビンに自分の会社を譲りはするが、その経営がうまく行かなくなった時、エリックはケビンのことを「お前も40近くになったのだから、自分でなんとかしろ!」と突き放してしまう。自分の思い通りに育たなかった子供たちに対して冷たく接してしまうところは、彼が子供たちを所有物だと思ってしまっている証拠だろう。

ショーン・ジョーダン監督は、この様に語っている。
「『アイアンクロー』は悲しみや苦しみの物語ではない。むしろ、悲しみの欠如と、人が自分の苦しみから目を逸らしたときに、何が起こり得るか描いている。一家の物語はアメリカの歴史のごく小さな一部分に過ぎないが、長年アメリカの文化に害を及ぼしてきた極端に歪められた男らしさや、近年僕たちがやっと理解し始めた考え方を掘り起こしている」

最初にも書いた様に、この映画は単なるプロレス映画ではない。ジョーダン監督自身も語っている通り、ファミリードラマであり、ゴシックホラーであり、スポーツ映画でもあるこの作品はアメリカの中心部で展開するギリシャ悲劇でもあるのだ。

技術的には、とてもシンプルに構築されたワンシーン・ワンカットが素晴らしかった。役者たちがあれだけ肉体もメンタルも作り上げてきたからこそ、というのもあるが、シンプルな良い芝居をシンプルに撮ってゆく。条件さえ整えば、映画は本当はそういう手法が一番説得力を持つのだが、そのためにはある程度の「下ごしらえ」が大切になってくる。十全な準備期間と予算があるからこそ出来るのだろうが、この映画の役者たちは本物のレスラー並みに鍛えていて、ほとんどスタントなしで演じているのには頭が下がります。
あと、やはりフィルム撮影なのもすばらしい。記憶の中の80年代はやはりフィルムなのだから。
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