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朝の波紋のIMAOのレビュー・感想・評価

朝の波紋(1952年製作の映画)
4.0
「昔の洒落たハリウッド映画の方が、これこれの社会的悪習を告発すると称する映画よりも、当時のアメリカ社会について多くのことを教えてくれますよ」
これはフランソワ・トリュフォーの言葉だが、五所平之助の『朝の波紋』を観て、最初に思い出したのはこの言葉だった。五所平之助にどれだけの意図があったかは不明だが、この映画には戦後間もない日本の問題全てが映っている。女の自立、戦争孤児、まだまだ復興し切れていない経済的には貧しい日本、そしてそうした状況における日本人の劣等感など…だが、そうした問題をあからさまに社会派として取り上げるのではなく、この物語においてはそうしたものはあくまでも背景として描かれている。そして、一見軽やかな恋愛映画の様に見せながらも、そこには確たる主張がある。それは多分、これからの日本人の在り方、そして誇りの持ち方とでも言うべきものだと思う。それを五所は「語る」のではなく、映画的に「感じさせる」のだ。
何よりも素晴らしいと思ったのは、主人公高峰秀子の心模様の描き方だ。彼女はこの当時としては珍しい「職業婦人」だが、彼女自身が望んでそうなったわけではない。許嫁がいて結婚するはずだったが、その相手は戦争で亡くなり、彼女は仕事に打ち込まざるえなくなった。そうした状況の中で次第に彼女は仕事に生きがいを見つけ、会社でも一目置かれる存在となっている。とはいえ時代もまだ女性進出が始まったばかりの頃で、彼女の前にはいくつもの障害があり、彼女に対しての無理解や、無神経な言動に少し傷ついたりもする。そうした彼女の気持ちを五所平之助は、高峰秀子という優れた女優を使って表現した。その高峰秀子の凜とした姿は、決して古びていない。そしてこの時代の日本人全てがそうであった様に、女も男も戦争の傷を抱えている。その傷を癒しながら再生してゆく力がこの映画には漲っている。

この映画の中で犬が近所の靴を持ってきてしまう、というエピソードがあるが、映画好きなら成瀬巳喜男の『驟雨』にも同じエピソードがあったことを思い出すだろう。『朝の波紋』は1952年製作で『驟雨』が製作されたのは1956年だから、これは先輩・五所平之助に対する成瀬のオマージュだったのだろうか?だとしたら、ちょっと素敵である。
あとクレジットに大好きな香川京子の名前があり、いつ出てくるのか?と思ったらラストの方に3カットくらいだけ出てきた。でもとても彼女に合った役だったのも、さすが五所平之助という感じです^^
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