このレビューはネタバレを含みます
天国で兄弟が再会するシーンや、涙を流す父親に優しいことばを投げかける子どもたちの姿は、たぶん他の映画だったらわかりやすく涙を誘う(tearjerker)意図を感じてしまうだろうけれど、この作品はあまりに辛すぎて、こんなシーンを入れない限りはケヴィンを救うことができないと判断したのだろうなと思った。実話をもとにした映画のエンドロールの写真をみて号泣したのははじめてかもしれない。ケヴィンが家族に囲まれて生きてくれてよかった。
ケヴィンは勝利を感じることができないまま時を過ごすことができたからこそ、マスキュリニティの呪縛から降りることができた。他の兄弟だって、本来は優しく気遣い合うケアの関係性を築くことができていたのに、プロレスの道を歩まされてしまうことで、負けること、弱くあることを禁止されてしまう。そうやってケアが奪われていく先に自死が訪れてしまうことの悲しい必然。
もともと父であるフリッツが音楽を演奏していたことが示されるけれど、彼は何らかの理由によってその気持ちを押し込め、プロレスの道に進んだ。それはきっと母にとっての絵も同様で、失意の中で再び絵筆をとる描写だけで関係性の終わりを表現されているシーンが印象に残った。
ケリーが自殺した時、「あいつはお前に助けを求めたんだ」と父はケヴィンに話すけれど、それはきっと本音なんだろうなと思う。その罪は重いけれど、男性性の檻のなかにいる彼にはどうすればいいかすらわからなかったのだろうなと。男性性の呪いをじぶんでかけた人物をどうすればいいのか、世界はまだその答えを見つけ出すことができない気がする。