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華岡青洲の妻のKSatのレビュー・感想・評価

華岡青洲の妻(1967年製作の映画)
4.3
日本人が世界に誇るべき発明といえば、何があるか?カラオケ、絵文字、プレステ、味の素、VHS、カッターナイフ、インスタント麺、LEDライト、カーナビ、、、

そして、全身麻酔である。これは、江戸時代に史上初めて全身麻酔による手術を行った華岡青洲と、彼を取り巻く女性たちの物語だ。

加恵(若尾文子)は、かねてから憧れていた於継(高峰秀子)に頼まれ、医学を学ぶために上京している彼女の息子・華岡青洲(市川雷蔵)の下に嫁ぐことになる。この前半部分、加恵の於継に対する眼差しが、ただの憧れの人以上の同性愛的なものに思えたのは自分だけだろうか?加恵に対して優しく応える於継の穏やかさを見ていると、余計にそう感じてしまう。

しかし、青洲が帰ってくると、加恵は於継が本当は冷たく計算高い人間だと思うようになる。子供が出来ても、医者であるはずの青洲の下ではなく郷里で産むことを促す於継を見て、本当はここにいて欲しくないのだと考える加恵。個人的にはこれは、姑が嫁を厄介払いしたようにも見える反面、本当に嫁を労わっての行動(この時代、嫁いだ後の女性が帰郷することは叶わないことが多かった)にもとれるように思える。

青洲が麻酔の研究を始めると、加恵と於継は互いに自分が実験台になると言って譲らず、対立するようになる。この流れを見て嫁姑バトルだとか、於継による嫁イビリだというように見る向きが多いようだが、個人的にはそうは思えない。

確かに於継は嫁である加恵に対抗心を燃やしてはいるものの、彼女に対して一定の敬意を持ち、時には労ってすらいるのは明らかだし、少なくともイビリではないだろう。

しかし、自分が飲んできた麻酔が加恵が飲んだものよりも遥かに弱かったことを知った時に於継が悔しさのあまり一人で隠れて大泣きする場面は、女の情念の怖さを感じた。2人の生き方からはこの時代の女性たちの芯の通った強さを感じると共に、妻であれ母であれ、いかにして女が男に尽くせるかに重きを置いた(逆をかえすと、男とは無関係に好きなように生きることは許されなかった)この時代の女性たちの立場が伺える。

加恵の出産場面と、初めて全身麻酔を施した乳癌手術の場面が交互に展開される様は、なかなか凄まじい。

「清作の妻」では夫への情念の強さ故に彼の目を潰してしまった若尾文子だったが、この映画では夫への献身故に自らの目を潰すことになってしまうあたりが、対の関係になっていて面白い(どちらも増村保造監督・新藤兼人脚本のコンビだったから、意図的なものだったと思われる)。

そして、この物語で華岡青洲の麻酔の開発のために犠牲になってきたのは、女たちだけではない。そこに至る前に、数え切れないほどの犬や猫たちも実験台にされて死んでいったのだ。今日の医学の裏にある犬猫たちの犠牲の深さは、推して知るべしだろう。
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