YAJ

TATAMIのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

TATAMI(2023年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

【有効、一本! と教育的指導】

 「イチジク」に続いて、もひとつイラン関連の作品。
 イラン政府が、自国の選手に不当に圧力をかけ、その国家権力に抗う個人の葛藤を描いたお話というので興味を持った。予告編のナビゲーターの声が、あらま、オリンピアンの阿部詩ちゃんじゃないですか。そりゃ、モチーフが女子世界柔道選手権だものね。
 しかも、舞台がジョージアの首都トビリシで開催の大会だという。ジョージアものにも、我が家は飛びつく傾向にある(笑)

 舞台のトビリシの街並みは、会場入り前に俯瞰的に捉えられた映像のみだったが、ソロラキの丘、そこに立つ巨大な女神像 ― ジョージア母の像 ―、その前を行きかうゴンドラ、平和橋など見覚えのある風景のほかに、近代的な曲線を施した大きなビルもチラホラ。2015年に訪問してから、この10年間で、ジョージアの変化もわずかながら垣間見れた。

 さて、作品は……。
 女子世界柔道選手権にて、イラン代表のレイラは、マリアム監督の指導の下、順調に勝ち進んでいく。今日は調子も良さそうで、初の金メダル獲得が狙えそう。ところが、国元からイスラエルとの対戦を避け棄権しろとの指令が届く。家族を人質に取られ、さぁ、どうする!? 怪我を装って政府に従い棄権するか、アスリートとしての尊厳のために戦い続けるか。なかなか、緊迫の展開が続き、最後まで楽しめた。
 柔道の試合も、TV中継で見るのと違い、選手に肉薄したカメラワークで、息遣いはもちろん、道着の擦れる音なども加味され、迫力満点だ。柔道の試合ではなく、ボクシングかプロレスのように見えてしまうのも、日本人でないクルーによる撮影だから? とも思ったり。

 一方で、イラン政府の執拗な棄権勧告の意味が不明で、なぜ、そこまでしてイスラエル選手との対戦を避けさせたいのかが、鑑賞中は正直よく分からなかった。これは、自分の不勉強で、もとより、イラン政府はイスラエルを国家として認めていないが故に、イスラエルが出場する大会そのものを認めていない、選手の大会参加を辞退する、参加してもイスラエル選手との対戦があると試合を放棄するなどの態度を過去とってきそうだ。そうすることで、選手も政府からの賞賛を受け、国内で一定の地位が約束されるとか。
 
 という事情を知っても、まだ、なんだかなぁの違和感が残る。
 だって、国として認めてない相手を前に、棄権? 試合放棄? 相手を力と技でねじ伏せて、国力を示し、国威発揚したほうが、いいんじゃね? と思わんかな。
 多分、イランが国として力不足、ロビー活動も巧みではなく、なにより国際的な発言力の弱さがあるのだろう。そうした自国側のささやかな抵抗、ごまめの歯ぎしり程度の意思表示しかできない哀しみを、この作品の背後に感じ取ってしまったよ。
 中国のように国力を増していけば、台湾をチャイニーズ・タイペイの名称でなら五輪出場してもよいよと、バーゲニングパワーで押し切れるのに。「パレスチナ・イスラエルって名乗るなら、試合してやってもいいよ」って、イランも言いたいのだろう。
 
 本作、元ネタとして2019年、東京で開催された世界柔道選手権で発生した出来事があるというのも、鑑賞後のパンフレットをチラ見して知った。
 同大会で連覇を目指していたイランのサイード・モラエイ選手(男子81キロ級)は、決勝でイスラエルの選手と対戦する可能性がある。イラン政府は準決勝を放棄するよう求め、同選手は、準決勝で敗れ、さらに3位決定戦でも黒星を喫する。
 モラエイは、イラン連盟の会長やイランのオリンピック委員会から棄権するよう指示を受けたと発言。この事件を、一方的に捉え、イランを悪の枢軸として作り上げたのが本作だ。
 史実は男性選手、それを女性とした点も、特に女性への締め付けの厳しいイランというか、イスラム世界への批判の好材料。ヒジャブを用いて、自由への意志表明なども表現しやすい。

 当時の記事をあれこれググると、「イラン側は、モラエイに対して選手権を棄権するよう圧力をかけてはいない」という政府発表もあったり、世界柔道連盟相手に訴えも行っている。
 黒YAJ的な目線で見れば、モライエ選手、連覇を狙っていたが負けちゃった、恥ずかしながら3位決定戦でも敗退、こりゃ世間体も悪い、国に帰っても賞賛されないどころか、ヘタしたら国賊扱い? こうなりゃ日ごろから国にも愛想をつかしていたし、元世界王者の俺は世界柔道連盟のコネを使って西側への亡命も容易い。ここはお国を悪者に仕立て上げて、ちょいと便宜を図ってもらおうか、と考えたかもしれない。
 本人が考えなくても、耳元で囁いて、焚きつけた黒幕が居るのかも。それこそ、イスラエル側、西側のやりそうなこと。イランのイメージダウンには格好の材料だ。

 無理な考えかもしれないけど、対戦中の選手や監督に電話をかけて、国で家族を人質に取って、なんなら拷問まがいの尋問もしてるぞ、という映像を送り付ける非道なやり方って、全然、生産性もなく非効率でないかい。工作員を何人も動かして、駐ジョージア大使館の役職員も動員して現場で脅すとか、そんな無駄な人件費かけるかね? 映画のドラマを盛り上げるには、なかなか面白いのだけど、現実味がなさ過ぎて説得力に欠ける。
 だって、自国の選手が決勝まで残って、しかも相手のイスラエル側の選手も決勝に残って初めて対戦が成立するのに、2回戦か3回戦のあたりから棄権勧告って無駄じゃね? 実際、当人も負けてしまうわけだし(それは国家の要らぬ脅迫のせいともとれるけど)、相手のイスラエル選手も準決勝敗退という、なんとも肩透かしな結果だ。こんなことなら、決勝まで勝ち上がらせて初の金メダル獲得させた方がお国の為になる。それこそ「有効!」だ。

 本作でイスラエルのガイ・ナッティブと共同監督したザーラ・アミールは、劇中の監督マルヤム・ガンバリも演じている。
 最初、政府に屈してレイラ・ホメイニ選手に棄権を勧告するが、闘志をみなぎらせて勝ち続けるレイラに感化され、準々決勝では再び監督席から声援、アドバイスを送る。この揺れ動く心情の変化は、本作での見どころのひとつでもあった。なにしろ、自分にも過去、政府に従って試合放棄をした過去があると打ち明けるのだから。
 これにも、元ネタがあって(あとからググった)、通算2度の世界柔道制覇を誇るミレスマイリが、2004年のアテネ五輪でイスラエルの選手との対戦を、重量オーバーで失格となり回避した例があった。この行為を当時のモハマド・ハタミ大統領をはじめ超保守派メディアから絶賛され、母国柔道連盟のトップ就任を果たしたという。
 なるほど、だから、本作でも冒頭、体重測定の場面があったのね。巧い本歌取りやね。

 こうして考えるに、当時はまだ、国の意を汲んで行動しておいたほうが旨味があったのだろう。今は、それよりも、反旗を翻し、亡命を果たした方が個人としても利があるのだろう。それほど、イランという国での、国民への締め付けだったり、そもそも国としての魅力を失っている証左か。それは、間違いないところだと思う。
 そんなイラクを叩くには、あるいはイメージダウンを図るには、まさに格好の題材だし、その意図は見事に果たした「一本!」か。
 制作現場では、イスラエル人と(元)イラン人が手を取り合って共同制作しているぞ、というアピールも果たせる。

 そうそう、ザーラ・アミールが出演してる『聖地には蜘蛛が巣を張る』(22/アリ・アッバシ監督)、観ておかないと。

 余談ながら……。一点、この映画でシクじったのは、エンディングの柔道選手団を乗せた移動バスのシーン。オープニングで同じアングル、カメラワークのシーンがある。トビリシの会場に向かうイラン代表選手たち。その中に、本作の主人公レイラ・ホメイニ選手、マリアム監督の姿がある(両人ともヒジャブ着用)。
 エンディングでは亡命を果たし難民選手団の一員となる二人の姿が同じようにバスの中に座るシーンとして映る。これは後年、どうやら東京での世界選手権への出場の様子だ。だが、窓外にトビリシで特段有名な、グルジア銀行本部ビルがチラ見している。ヒジャブ姿ではない、髪型も自由な二人の姿をより浮かび上がらせようと、バスの内装もそのままに冒頭シーンとの対比として描いたのだろうが、トビリシの町を走っているのが見えちゃうのは違和感。敢えて?
 こりゃ、「教育的指導」もんじゃなかろうか(笑)
YAJ

YAJ