このレビューはネタバレを含みます
【世界の一端】
国家が国民を信じることが出来ず、体制の維持のために暴力を奮う事態が、いかに悲惨か。
それを、家庭という最小単位の社会に喩えた。父親が、妻、娘を信じることが出来ず、己の体裁を保つためについに家族に銃口を向けるに至る、その顛末たるや……。 というお話で、ミステリー、サスペンスというほど凝った作りではなく、お話としては、やや肩透かしだが、イランという国家の現状、国民の置かれた立場や、強権的な統制とその反発の実態を、映像作品として分かりやすく見せてくれたモハマド・ラスロフ監督には感謝だ。
ただ、「映画製作で罪に問われ」や監督自身が亡命するに至り、カンヌでの絶賛(12分間のスタンディングオベーションとか)という周辺の情報には、毎度、眉唾して、距離を置いて判断したいと思うところ。
『人生タクシー』や『熊は、いない』をものした監督のジャファル・パナフィも、欧米の映画賞との相性が良い。イランにおける自分の置かれた境遇を賢く利用して国際的評価を得ている、なかなかのやり手だ。
それが悪いとは言わない。生きるための知恵だ。ただ、欧米のルールに則らないイランという国の体制転覆とまで言わないまでも、穏健派の政権の成立を陰に日向に画策する欧米が、そうした人物、作品を必要以上に持ち上げ、賞賛し、ことさらにイランの現体制の批判を煽ること — 反体制の映画を絶賛することで間接的に — には、すこし身構えた方がよい。
とはいえ、“本当の”情報が得にくい、かの国。一方的な描き方ではあるが、現状を垣間見る意味でも、本作は得難い教材であることは間違いない。本作を通じて、少しでもイランへの理解が深まればよい。
作品の中で描かれる暴動の端緒は、首都テヘランにおいて2022年9月13日、ヘジャブの着け方を理由に道徳警察に拘束されたマフサ・アミニさんが死亡した事件。イラン各地での大規模な抗議デモに発展し、当局はその鎮圧に追われている時のお話。時折、挿し挟まれるスマホで撮られた映像は、実際のデモと警察との衝突、弾圧の様子。かなりショッキングな映像が含まれる。
また、主人公家族の長女の友だちが、たまたまデモに出くわし(たのかどうか本当のところは分からないが)、当局の流れ弾で半身に大怪我を負うシーンが出てくる。顔面を中心に散弾銃の弾が喰い込み、その摘出の様子が描かれる。
これも、実際、道徳警察は顔を、目を狙って発砲するということがあるそうだ(反乱分子というレッテルを見えるところに残す意味か?!)。BBCが製作した動画をネット上で見ることができる(https://youtu.be/p4dvL4mR67g)。
病院に行きたがらない描写も作中にあり、病院から刑務所送りという実話も、作中に折り込まれている。友だちの散弾の摘出は家族の母親が自宅で行うのだった。
ところで、字幕では道徳警察ではなく「服装警察」と出てた。まるで、若者の和服の着方を口うるさく言う「着物警察」のオバサンたちのようで、ちょっと迫力なくないか(笑)
こうした、現状を踏まえながら、出世に邁進する国家公務員の父親が、国から貸与された護身のための銃が家庭内でなくなるという事態がおき、上記のように、家族を疑うようになり、暴挙にでる顛末が描かれるが、国家の現状を矮小化させた物語に、さほど迫力はなく、ただただ、悲しい物語として幕を閉じる。
そのストーリー云々に言及するよりも、この家族の物語を通じて、世界の一端を見て、知って、考えることを求められる作品だろう。
暴動に発展した件の事件も、当人がクルド人という問題も孕んでいる。クルド人だから自由を奪われていいという話ではないが、辺境のクルディスタン地区(クルド人居住地域)から出てきて、ヒジャブ法に基づく道徳警察の取り締まりが厳しい首都テヘランでの行動に油断はなかったのか? とも考えさせられる。あるいは、そういう情報を彼女が持ち得てない、そんな疎外された立場だったのかもしれないと、世界の中でのクルド人の立場にも思いを馳せる。
自分が、そのような立場になったら、どれだけ細心の注意を払わなければいけないか、という教訓でもある。
非常に根の深い物語だった。我々は、まだまだ井の中の蛙だ。世界を、もっと知る必要がある。