彼女はきっとそこに存在する。
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売春をして金を稼ぎ、母親と祖母の面倒を見ながら生活をしていた杏(#河合優実)。
男を家に連れ込み、酒や薬に溺れる母親からのDVに耐えながら、ゴミまみれの部屋での生活だった。
覚醒剤所持の疑いで警察からの指導を受けることとなり、刑事の多々羅と会話を重ねていくうちに保護を受けられるようになった。
多々羅が開いている自立支援のセミナーに参加した杏は薬物から離れられるようになり、働き始めたのだった。
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胸が締め付けられる映画でした。
彼女の日常は僕が普段生活している中では絶対に発生しない出来事の連続で、苦しいことや辛いことの連続だった。
このような環境に身を置いていたら、まともに育つことはかなり難しくなると思う。少なくとも親があの有様では、完全に詰んでいるように思えた。
そこに差し伸べられた多々羅という刑事の活躍。
彼が何人もの社会的弱者を救ってきたのだろう。困っている人のために活動できる、支援に力を入れてくれる頼れる人はきっとそう多くない。
様々な要因や環境が絡まり、杏の生活に影響していく様を観ているのはかなり辛かった。
コロナウイルスがなければ、あの人がまともだったら、ここでこの事件が起きなければ…そんな一つ一つの悲しい出来事が自らの生活を侵していく。
それは僕たちも無関係ではなく、日々生きていく中で感じる閉塞感や疲労感、もしくは絶望感として目の前に現れる。
そして、人間は何もないことよりも、何かあるものを失うことはことの方がよりダメージを負う生き物だ。
それがこの映画に刻まれている。
そしてこの映画は事実をもとに作られている。
やはり綺麗事抜きにして、この世は腐っている。そう感じる描写が多かった。
自分が逆の立場ならどうしていただろう。
いくら彼女を憐れんでも、悲しんでも、僕たちは蚊帳の外の人間だ。
ただ、生きている中でできることがあるのなら、周囲の人間くらいは救いの手を差し伸べてやりたい。みんな余裕なんてなかったんだよな。それでも道徳心や倫理観だけは最後まで捨ててはいけないと感じた。
彼女は薬物をやめていました…。
そう咽び泣く声と後悔の念がしばらく頭から離れないでしょう。
確実に擦り減る映画ですが、観ることで感じることが多くある作品だと思います。ぜひ。