郷愁だけでは、
祈りの端までは辿り着けない。
〜〜〜
タルコフスキーのレストア。
東京の渋谷は曇天、
この冬でおそらく一番冷たい日。
懐かしい原体験の記憶たちは、
まるで自分だけしか見ていなかった映画のよう。
うっすらとぼやけて境界もない、
母や兄姉の面影や景色の光陰。
レストアできない思い出。
〜〜〜
主人公は、
生きていく未来なんて一つも感じさないように、過去の音楽家を辿る。
父のいない家の記憶。
水と泥と草と霧。
まるで田舎に家族で閉じ込められたかのような過去。
彼は、その過去たちを
もっと正確に細やかに手繰り寄せる為に、
同じような境遇の手記を持つ音楽家や、
自らの破滅思想の為に家族を閉じこめた老人に惹かれてゆくに見える。
執拗に過去を覗き込む。
劇中何度も客席を振り向いてくるように。
でも実はそれらはすべて、
自らの持病や命の終わりに勘づき、
ノスタルジーを通して、
未来に残された家族への埋め合わせを
探していたからなのかもしれない。
その過去の中に、
懸命に未来への光を探していたのかも。
〜〜〜
でも、結局のところ、
ノスタルジアだけではどこにも行けないね。
それに対抗する手立ては、
今一刻と進んでいく時をただただ感じること。
願いを叶えることではなく、
苦悩や幸福を受け止めながら祈ること。
今を無心に無邪気に生きてる女性や宿泊者達に
耳を傾けること。
酒を仰ぐこと。
散々してきた回想を
もはやする余裕もないくらい、
必死になって火を守って、
省略もカットもせずに、
一歩ずつ歩むこと。
1+1=1であるように、
"今"はいくら重ねても
"今"でしかない。
その途方もない量の、
でも決して積み上がることのなかった時間たちにこそ、
無限にも近い豊かさを感じる。