ジョン・レノンがオノ・ヨーコと別居していた1973年秋から1975年初頭の18ヶ月間に何があったのか、を、当事者であるメイ・パンの証言を元に構成する実録モノ。
オノ・ヨーコがかなり悪者に描かれてるので「オノ・ヨーコ大好き!」って言うオノ・ヨーコ原理主義者は、観ないほうがいいです。
■ おおまかな内容
当時23歳のメイ・パンは中華系アメリカ人。ニューヨークにある実家は映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の一家みたくクリーニング屋を営んでいたが、メイ・パンは音楽が好きで、運良くビートルズが所属するアップル・レコードの事務に採用。しばらくしてニューヨークに移住してきた二人、特にオノ・ヨーコに気に入られ、二人のプライベートアシスタントになる。
プライベートアシスタントとしての仕事も、有名人の生ケツ(ジョン&ヨーコ含む)を延々映し出すだけの実験映画を制作したり、コカイン中毒の全裸の女にハエを飛ばせる実験映画を制作したりと、なかなか刺激的なのだが、転機が起こったのは1973年秋。
ジョンと不仲だったヨーコから、メイ・パンは、とある申し出を受けてしまう。
(・ω・`) 「ちょっとアンタ、私、ジョンと別居するから、ジョンの愛人になってくれない?」
٩(๑❛д❛๑)۶ 「!?」
あまりの要求に混乱するメイ・パン。だが、なんとなくジョンからも言い寄られ、
「ボーイフレンドもいなかったし」
と、恋人同士の関係に。そうしてニューヨークを離れ、二人の同棲生活が始まる。
この作品では、その日々を詳細に描いている。
■ 俺の感想
ビートルズ関連は、変に間違ったことを書くと、ビートルズ警察が「シュバババ!」とやってきて叩きのめされそうで若干ビビっている俺なのだが、このドキュメンタリーは良かった。
そもそも「失われた週末」という言い方も、1980年にジョンが亡くなる直前のインタビューで、アルコールやドラッグに溺れていたこの時期を評した言葉から出てきてるのね。
色々調べると、同じくアルコール依存症の作家を主役にした1945年のビリー・ワイルダー監督による映画「失われた週末(The Lost Weekend)」をモジって言った、ジョンらしいウィットに富んだ表現なのだが、正直、この言い方が(マニアの間では)独り歩きしている。
そんな18ヶ月が、当事者であるメイ・パンの視点で語られたら、こんなに刺激的な、全く「失われ」ていない日々だったなんて!
こういう書き方をするとオノ・ヨーコ原理主義者が「シュバババ!」と来て怒られるかもしれないが、ヨーコとの日々は政治や現代美術に傾倒しすぎてた。
ヨーコから離れたことによって、ジョンはこの18ヶ月に、本来のジョンが持っている音楽的才能を惜しみなく発揮している。
「ボーカリストに徹した」オールディーズのカバー集「ロックン・ロール」をレコーディング。エルトン・ジョンも参加した「真夜中をぶっ飛ばせ」では全米No.1を記録。リンゴ・スターのアルバムをプロデュースしたかと思えば、ミック・ジャガーやデビッド・ボウイとも交流、果てはスティービー・ワンダーやポール・マッカートニーとセッションまで行っている。この作品でもちょっと音源が出てくるが、ジョンがヘベレケすぎて、音源としてはボロボロだけど……。
確かに、1970年代初頭の、自分の幼少時代を見つめ直した「ジョンの魂」や、平和への願いを歌った「イマジン」「ハッピークリスマス」といった曲は、ヨーコなしでは成し得なかったと思うのよ。
ただ、再び「ロックンロールなジョン」として精力的に活躍したこの時代は、ヨーコから離れることによって実現できた、いわば、ロックスターに憧れた少年時代の夢を叶えたという意味での「第二の黄金期」。少なくとも、鬼婆のようなヨーコではなく(偏見)、ジョンを立ててくれるメイ・パンがいたからこそ、これだけの交流が広がったに違いない。
これまでオノ・ヨーコ帝国軍による「オノ・ヨーコ正史」しか知らなかった自分にとって、反乱軍的な「メイ・パン史観」を知ることが出来ただけでも、観た価値はありました。
■ 息子であるジュリアン・レノン
特に印象的なのは、前妻であるシンシアとの子供であるジュリアン・レノンとの再会。
なかなかジュリアンをジョンに会わせようとしなかったヨーコと逆に、メイ・パンはジュリアンを、ジョンと暮らすLAの家に招き、まるで家族のように接している。
この作品でも、メイ・パンとのこの時期の日々のことを、ジュリアンは、まるで昨日のことのように語っていて、
「この頃に、ようやく父親と親子の関係を作ることが出来たんだなぁ」
とウルっと来てしまった。
実際、ジュリアンは、2022年に11年ぶりにアルバム「JUDE」をリリースしたのだが、アルバムのジャケットでも、メイ・パンが撮影した、この頃のジュリアンの少年時代の写真が使われている。
ジュリアンの母であるシンシアは2015年に亡くなっているが、2022年に作られたこの作品のエンドロールでは
「シンシア、ようやく真実を伝えることが出来たよ」と
との謝辞があり、ジュリアンも、ようやく、正直に当時の頃のことを話すことが出来たのかもしれない。
余談だが、2022年、ジュリアンは初めて、「イマジン」を公式にカバー。その収益をウクライナ支援に寄付するというアクションを起こしている。
■ 最後に
この作品、ジョン・レノンに興味のある人じゃなくても、ジョン・レノンを中心とした様々な「愛」が語られるので、誰が観ても楽しめるものになってると思う。
少なくとも、ほぼ元妻の「自分語り」で、旦那であるエルビス・プレスリーをパワハラの異常者みたいに描いていた「プリシラ」( https://filmarks.com/movies/110781/reviews/173583988 )とか、
1曲もビートルズの曲が使われないで、ビートルズと一週間、同じ宿に泊まっただけのオッサンが延々と自分語りをカマす「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」( https://filmarks.com/movies/104224/reviews/141564379 )とかよりは、よく出来ている。まぁ、後者はヒドすぎますが……。
要所要所できっちり、ジョンの曲も効果的に使われており、監督・編集チームの「愛」を感じることが出来ました。
当時のメイ・パンは、写真や動画で観る限り、めっちゃキュート。20代前半でジョン・レノンと付き合って、「サプライズ、サプライズ」(アルバム「心の壁、愛の橋」収録)って曲まで書いてもらって、コーラスして、超有名ミュージシャンたちと交流してる。夢のような世界だよね。
ジョンの歌詞を引用すると
「こんな日々が来るなんで誰にも分からなかった/まったく、奇妙な日々だ」
みたいな感じかなぁ。余談だけど、この曲(1980年の「Nobody Tolds Me」の歌詞には
「ニューヨーク空にUFOが出現した」
って歌詞が出てきます(観た人だと分かると思う)。
しかも、この作品の後になるが、1989年にはT-REXやデビッド・ボウイのプロデューサーとしてめっちゃ有名なトニー・ヴィスコンティと結婚している。
ちくしょう、俺もメイ・パンになりたかったです。
最後チラッと現在のメイ・パンも出てくるけど……えーと、コメントは無しで。
それにしても観終わって感じるのは、オノ・ヨーコのラスボス感というか、サノスばりに世界を自由に操る黒幕感の強さ。全編を通して
「結局、これって、全員、ヨーコの手の上で踊らされてたってこと?」
という疑念を禁じ得ない。これを観に行く俺すら「もしかしてヨーコに操られてる?」と糸を背中に探したくなるレベル。
ここまで悪役に描かれてるヨーコからの反論も聞いてみたいけど、この作品に音楽の許諾出してるってことは、ヨーコ自身もGOサイン出したってこと? やはり背中の糸を、もう1回、探してみようかなぁ……。
この「失われた週末」の直後にヨーコはショーン・レノンを出産(1975年10月)、ジョンはヨーコとの「主夫生活」に入って、音楽活動を5年間封印。1980年には命を失うことになってしまう。
だが、もし、このとき、メイ・パンとの同棲が続いていれば……。
と、歴史のIFを、想像(イマジン)したくなる、そんな作品でした。
それにしても、別れたあともメイ・パンがジョンと
「ちょこちょこセックスしてた」
って言ってたのはさすがに草。やってたんかい!
(おしまい)