「ええっ!? そんな展開になるの?」
この作品、とにかく、最後の展開のインパクトが強い。
森林保護地区で野生動物を狩り、毛皮を剥いで売ってなんとか生活をしている親子三人。狡猾な狼が徘徊する中、ある日、狩りに出た父親は、複数の惨殺死体を発見する。父親の帰りを待つ母親と娘は、森の中に、瀕死の状態で倒れている男を発見するのだが……という話。
最後の展開をネタバレしたら面白さ半減なので、ここでは触れないでおく。
そこに至るまでは、ヒリヒリするような展開のスリラー。頑なに狩りで生活しようとする父親と、都会で普通の暮らしがしたいと望む母親。犬や自然に愛情を注ぎ、父親の解体技術を受け継いだ娘。カナダの大自然の中で、一家の思いが交錯する。
……と感じてたら、「ええーっ、そうなるの?」というクライマックスの展開。
ネタバレにならないだろうから書くが、いきなり最後だけ、監督にトラップを仕掛けて、イーライ・ロスが監督始めたんじゃないかと思ってしまった。
結局、犬とか狼はどーなったんだ? とか、色々と納得できない部分はあるのだが、世界観は維持されてるし、力技で納得させられた93分、コンパクトにまとまってて良かったです。
ところで、この作品では、毛皮を売るため、食料を得るため、そしてその他の目的のために、動物を解体するシーンが何度か出てくるのね。
俺も以前、街中で、牛の解体に出くわしたことがあるので、その時のことを書いておいてみる。
(以下、完全に作品と関係ない自分語りです。一部、残酷な表現もあるので苦手な人は飛ばしてください)
それはトルコの片田舎。年に1回あるイスラム教のお祭り・犠牲祭(イドゥル・アドハ)の日。
ぶらぶらと田舎道を歩いていた俺は、丘の麓に100人くらいの人が集まっているのを目撃した。
イスラム教では「犠牲祭」の日に、神様へ犠牲を捧げ、富める者が貧しい者にそれを施すのが習わしらしい。元は、アブラハムが、アッラーに羊を差し出した逸話に由来する。
その村では、その施しの品が、5頭の牛だった。
牛を解体するのは結構難しい。なんせ700kgくらいある超重量級。立っている状態で屠ろうとしても、下手すると逆襲され、蹴られたり突撃されたりしてしまう。
見ていると、屈強な男たちが7-8人、立ち上がった。それぞれ、輪っかを先に作ったロープを手にしている。
男たちの戦略はこうだ。まず、1つ目の輪っかを地面に置き、そこに牛を追い立てる。牛の足が上手く輪っかに入ったところで、ロープを締め上げ、牛の足をロープに固定する。その作業を四肢に対して繰り返し、全ての足がロープで固定されたところで、
ロープを牛の足がねじれるような方向に引っ張って、牛を転倒させる。
牛を転倒させたら、ロープをピンと張って、抵抗できないようにする。
こうやって牛の息の根を止める状態にもっていくのだ。
これは、牛にとっての、「デス・トラップ」。
そうすると後は早いもの。別の男が、鋭利な刃物を手にして、手際よく、牛の首をかききる。ありえないくらいの量の血が吹き出すが、それが一分ほど続くと、血は流れるだけになり、牛は、静かに息を引き取る。
「モゥー モゥー」
気付くと、周りの牛は、悲鳴とも聞こえるような鳴き声を上げている。
以前「いのちの食べかた」という作品にも屠殺(電気ショック)のシーンがあった。やはり屠殺前の牛は、今日のこの村のように大きく鳴き声を上げていた。牛も、自分たちと同じく死を感じ取るのかもしれない。
いつのまにか、さきほどの手刀を持った男が、牛の腹に大きく裂け目を作っている。女たちが近付いてきて、内臓を引き出し、自分たちの手元へ手繰り寄せる。
観てると、女たちは、ハサミのようなもので内蔵を切り裂く。中から大量の未消化の草が緑色のまま出てくる。草を掻き出すと、女たちは内臓を手にし、近くの小川に持っていって洗い始めた。おそらく内蔵は内蔵で、何かの使い道があるんだろう。
牛の死体はというと、男たちが、器用に皮を剥いでいる最中だ。皮は面白いようにベリベリと剥がれていき、牛は肉の塊へと変貌する。皮はおそらく、市場で売られるのだろう。
いまでも覚えている。正直、この牛の解体現場を見ているときは、可哀想で、心が締め付けられたのだ。
「俺、明日からベジタリアンになろう」
そんなことを思いすらした。
でも、肉塊になった牛を観た瞬間、俺の気持ちはガラリと180度、変わった。
「すっげーーー美味そう!!!」
人間ってのは現金なものだ。眼の前に数百キロの新鮮な肉が並んでいると、テンションがバク上がりする。さっきまでは「可哀想……」とか感じてたのにね。
その後、4頭の解体を見届け、牛を焼くよい匂いが漂ってきたところで、その場からは退散(「食べるか?」と言われたが、さすがにイスラム教でも無いので申し訳なく、丁重にお断りした)。
俺はベジタリアンになることはなかったが、少なくとも、解体現場を観たことで、なるべくフードロスを避けよう、無駄なものは頼まない、というのを心がけている。
なので、今でも、飲み会とかでスキあらばタッパに入れて持ち帰ったりする。(まぁ、貧乏だから、ってのもありますが……)
「デス・トラップ」でも、解体した動物を無駄なく使うシーンが出てくる。皮は売り物、肉は食べ物。解体したものには、いろいろな使い道がある。
この作品を観て、そんな、トルコでの一日を思い出した。
ちなみにその後、トルコのイスタンブールに移動。イスタンブールでは、サウナを見つけて
「うおおおお、本場の『トルコ風呂』や!」
と、勢い込んでマッサージを頼んだら、大理石の上に全裸で寝させられて、半裸の太った現地のオッサンに延々とタオルで
「ビシッ! ビシッ!」
とシバかれる1時間を味わうことが出来ました。
(おしまい)