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はだしの花嫁のニューランドのレビュー・感想・評価

はだしの花嫁(1962年製作の映画)
2.9
☑️『はだしの花嫁』及び『さまざまの夜』▶️▶️
(商業) 映画が時間を経た後の価値とは、風俗の外形·そしてそこを生きてる感覚、といったものが写り遺っている部分が大きい。(当時の)理想を謳った高邁な映画等、殆ど価値を失ってくる。アカデミー賞やキネ旬ベスト10関連の殆どの作品がいまや面白くも何ともない。
番匠監督は、2~30年位は纏めて観るべき人なんだろうなぁと思いつつ、怠け癖と·今や国民の敵「働き方改革」以前は年間の休日が15~35日位だったので、他作家を優先し、今回はやっと2~3本観れた作家だが、当時の空気を正確·慎ましく伝えてくれる作風かも知れない(モダニストという表現もあったので、嘗て全盛期は違ってたのか)。しかし、川島や田中重·前田陽の様な個性的感覚があるわけでもなく、今や若い人を惹き付けるは無理だろうが、逆に変な解釈を加えない、当時の外形·感性·遺物名残·微かな拓け予感、とくに煮えきらずも当たり前的な人間関係を、ソックリ伝え遺してくれてる。確かさに、私自身は未だ本当に幼かったが、あんな中にいたと無理なく甦るものをくっきり感ず(大人しめグループのほうだろうが)。大島や今村は、当時の苛立ち·無意識の根っこを伝えてくれるが、素直な了解はこっちも感じない。
『はだしの~』。勢いはあるがラフめタッチで、知らずグッと寄ってってる移動、また大きめに移動·パンをスーッとすると·複数の動きや組合せが含まれくる、妙にバカ丁寧な寄りのピンの切返し、船と海は割りとしっくり包む感、等の惹き付け力はあるも、主体性のない廻りや流れに本心を忍び込ますだけの如何にも見たくもない典型日本人たち、腰落ち着けずスーパーマン的にあちこち急に出現·邂逅のご都合キャラら、当時の肩のこらぬプログラム·ピクチャーはこんなもんだった、というくらいの理解が、得るものの作ではある。
不道徳よりも自分を積極的に主張する事が悪かのように·遠慮し身を引き、気を回し必要以上に他人を立て、意を遂げるに迂回·姑息な手段を取る者も、いや、皆明確なビジョンを持たずに·波の立たない流れに身を任せてる。そもそも、東京~神戸~耕三寺と尾道~瀬戸内海~松山~別府、という当時は今より体感距離が、数倍あった地点を同じ町内のように、一気出没·鉢合せしている。誰の脚本か知らないが、当時はそれは叩き台で、監督の筆入れは可能だったはずなのに。
今は当然だが、当時の観客でもこれに納得·心を動かされた者などいなかった筈だ。それくらい玉石混淆·大量に大河如くに空気的映画を流してた時代の証左の作か。それにまた、社会の支配的価値観を情けなくも、共通理解事項として描ききってるのかもしれない。
酒造業社長は、つきまとうクラブ·ママもいる·男やもめ。松山出張ついでに·ポンポン船船長の戦友と旧交暖め。2人の娘が、そこの島の電線鉄塔技建設師に恋。娘らを慕う男ら別にいる。人物らは、作家帯同取材旅行、急な転勤、花嫁修業上京らを、越えて自在に動き廻り、ヤッカミを増幅·自分や他人の心の透け届きも。
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『さまざまの~』。「同じに汚れ堕落しなくては、対当になれない? しかし、僕の君を愛する気持ちには、一点のくもりもない」「甘ったれるな。世界は君ひとりを中心に廻っているのではない。自分勝手過ぎる」「一回の事でお父さんは、責任を取って結婚して下さった。しかし、貧しい田舎出の私は、どうしてもこの世界に馴染めず、寂しかった。(そうして出来た不倫の)子供も、お父さんは、じっと我慢して育てて下さった。私は今でも田舎が心に。離婚·別々の途は当然」
番匠作品にあっては、人物は物事に正対せず、主体性を何処かに置いて、旧来の世界観の殻もお尻に付けて、細やかに遣り繰りしている、そうして·自らの旧さ·未成熟からもきてる軋轢を乗り越えて仄かに見えてくる世界。嘗て昔、私も確かにそんな空間·時間にいた。繰り返すが、若い世代には馬鹿げた話ですむが、いまでもその名残を私らは未だにひきづってもいるを教えてくれる。
映画表現·視覚的にも、飲み屋の2階や恋人のアパートの疲れ具合、田舎の瓦家の風情、そこに確かにいた、を直に呼び覚まさせる。フラメンコら洋風メロウ音楽が急き立て、Lの自然絡みや夜ネオン街が同じに美しく、カウンターや樹木をスーと抵抗もなく·過ぎ超えたり、足下の物らをスッと上下して収める、カメラワークはそれなりに一級、しかし、ローや仰俯瞰·切返し90°近辺が中心で対象間はカッチリきり結ぶことは少ない、優柔スタイル、を敢えてチョイスしている、そんなに主体なく。
広告デザインかの小さな会社に勤めるOLが、父や恋人の愛人の存在に気づき、もやもやと憤り、出自や人間の気遣いの絡みにも、行き当たってく。父母や、仕事の上司夫妻の、頽廃をひとつ潜り抜けたら世界も。新東宝を離れても、(暫くは)三ツ矢は本当に綺麗だったなと、主演の力演の北林にはすまなくも、改めて見惚れる。
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