しまうま

凶気の桜のしまうまのレビュー・感想・評価

凶気の桜(2002年製作の映画)
3.5
 個人的には、窪塚洋介のベストアクトのひとつだと思ってる。
 俳優としての彼は大好きなんだけど、その窪塚洋介じゃないとできない役柄で「潔癖なまでの若者の信念」と社会がぶつかりあう様子が、生々しい痛みと共に描かれる怪作。珍しく、原作よりも映画の出来が良いと勝手に思っている一本でもある。

 邦画はほとんど観ない食わず嫌いな僕だけど、かつて窪塚洋介と松田龍平の出演する作品だけは絶対チェックしてた時期があった。これを機に、レビューしたいと思う。

 まず、キャストが最高だった。主演の窪塚はもちろん、助演としての須藤元気(この頃はまだ現役格闘家だった気がする)も存在感と、MMAの経験を生かした柔術アクションはハリウッドにもひけをとらないスリリングな要素があった。
 他にも、会長役の原田芳雄、殺し屋役の江口洋介など、脇を固めるサブが豪華だし、ただ豪華という言葉だけでは終わらせない雰囲気があって良い。そして何より、ヒロイン役の高橋マリ子さんの透明感。どの時代にもどんな世代にも、他に流されない芯を持った女性というのは存在すると思うけど、そんな役柄を見事に演じきってくれた。
 もちろん、音楽でキングギドラの面子が花を添えてくれたことも、いかにも当時の「渋谷」的で嬉しい。

 あと、邦画としては意外にグロ描写をきっちり映しきってくれたところは評価したい。右翼やヤクザものが題材の映画で、観る時点で淘汰されている作品なんだから、そこで変な気回しを見せずに、暴力シーンをちゃんと撮ってくれたところは、勇気あるチャレンジだと思う。

 具体的な内容に関しては、ほぼネタバレになってしまうので後述。


▪️▪️あらすじ▪️▪️


 欧米にかぶれた現代日本を変えんとする「平成維新」を達成するために組まれたネオ・トージョーという3人組、山口(窪塚)、市川(RIKIYA)、小菅(須藤)らは渋谷を中心に活動していた。
 気に入らない(欧米かぶれの)若者を蹴散らす毎日だったが、ある日、渋谷を仕切る青修連合から呼び出しを受ける。山口はヤクザと関わりを持ちたくなかったが、会長の青田から車をプレゼントしてもらえるという知らせに市川が乗り、単細胞の小菅も連れ立って行くことに心配になって自分も向かうことにする。
 青修連合の事務所では、三郎という男が煙草を吸っていた。彼は「消し屋」と呼ばれる殺し屋で、ターゲットの存在と痕跡すべてを消す仕事を行うプロだった。青田会長は山口に、三郎は市川に、若頭の兵頭秀次は小菅にそれぞれ興味を抱き、三者三様に彼らと関わりあうことになるのだったが・・・。



▪️▪️ネタバレありの感想▪️▪️ 

 基本的に「ネオ・トージョー」の最盛期は物語の始めだけで、そこから没落するだけの話なので、終始暗い雰囲気が苦手な人もいるかもしれないけど、またそこが僕としては、当時のジャパニーズ・ヒップホップの風潮とも重なり合い、すごく感じ入るものがあったことは間違いない。それに、こういう「没落」話が好きな人にとっては、脚本がすごくしっかりしているので、面白いと思う。


 一応、窪塚洋介がネオ・トージョーの中ではいちなん「強い」とされているのだけど、どう見ても現役バリバリの須藤元気のほうがキレも迫力も体格も優っていて、そこだけは違和感を覚える。まあそれは仕方ないとも言えるし、それに失礼だけど、外見だけで言えば「単細胞キャラ」の小菅は須藤元気のほうが似合っている、それにそういうキャラを演じるのもうまい。
 
 いろいろセンセーショナルな場面が盛り込まれていて、例えば江口洋介の暗殺シーンなんかはそのひとつだけど、中でも須藤元気が右翼に入り、ネオ・トージョー時代の無礼を詫びた連中にボコボコにされ、(たぶん)脊髄損傷的な重体で、母親に病室で「母ちゃん」とつぶやく場面はほんとうに印象的だった。
 見舞いにきた窪塚洋介がそれを聞いて病室には入らずに去る姿は、なんていうか、大人と社会に揉まれた悲劇をそのまま切り取ったかのような、変な美しさがあった。

 エンドロール終わりの、最後の場面については考察の必要もないと思う。結局、ネオ・トージョーは自分らが「粛清」と称して行ってきた行為のツケをもらう形になったのだろう。僕はあの終わり方でいいと思うし、きれいに終わらせるよりもよっぽど好感のもてる結末だった気はする。
 ただ、やっぱりせっかく「一般人」に戻るような素振りがあった窪塚と、それに寄り添う高橋マリ子のツーショットがあり、最後に彼が倒れてしまうと、彼女のほうのやるせない心情を思い、胸が痛くなる。
 そんな胸の痛みを感じさせてくれる、良い映画だと思う。
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