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私に触れた手のdm10foreverのレビュー・感想・評価

私に触れた手(2022年製作の映画)
3.8
【マトリョーシカ】

これは僕の個人的な価値観・・・というか信条のお話。
僕はいつも「もし今勤めている職場を辞めたとしても、二度と同じ職場では働かない」と毎回心に決めて仕事をしています。
これは別に「隠れテロリスト」の本性が作動して職場をハチャメチャにして辞めてやろうとか、毎回人間関係がドロンドロンになってしまうから・・・とか、そういう事ではないんです。
むしろ、辞める時ではなく仕事を始める際に自分に言い聞かせる「おまじない」のような言葉なのかな。

それは「またここで働きたくなるくらいなら、そもそも未練があるという事。だったら辞める前にその未練がなくなるまで一生懸命働いて、もうここには何もないって自分で思えたら辞める。あと、中途半端な気持ちで出戻りしても「一度辞めた時の気持ち(理由)」はやっぱり残っているから、いずれそいつが顔を出す。だから半端な気持ちで出戻りはしない」っていう感じ。

「辞める前提」のことを考えながら仕事をしているという事ではなく、一度や二度の失敗くらい仕事を辞めてたらキリがないだろ・・・と、自分なりに前向きな「おまじない」。

人生は「破壊と再生の繰り返し」だなんてよく言うけど、時として「破壊」だけが前提で再生を必要としない場面だってあるのではないだろうか・・・
「再生」がもたらすのは、必ずしも「リスタート(再出発)」だけではなく「リプレイ(繰り返し)」の可能性だってあるのではないだろうか・・・。

(あらすじ)
大人になったコリーヌは父親に頼まれ、実家の子供部屋で昔の品々を整理する。
片付けをするうちにさまざまな思い出が蘇ってくるが、封印していたはずの記憶の蓋が開き… 。(Filmarksあらすじより)

これもMyFFF2024にて配信されている短編のお話。
鑑賞時にはとくにあらすじも読まずに観てしまったので、導入部分はとても穏やかな家族のお話かな~くらいに思っていたんですが・・・・
これは俗にいう「入り口と出口で全く違うタイプの作品」ってなるやつですわ。

『私に触れた手』

はぁぁぁ、なるほど。タイトルはそういう意味ったんか。

「ある事件」をきっかけに壊れてしまった家族。
封印した過去は、まるでマトリョーシカのように幾層にも深くしまい込んで、決して表には出てこないようにしていた。

もしかしたら、この家族は「あの事件」以前から既に壊れ始めていたのかもしれない。
そこに事件がトリガーとなって「破壊」に繋がっただけ。
どんなに幸せだった頃を懐かしんでも、あの頃と同じ幸せはもう二度と「再生」されることはないだろう。

「壊れる」ということは、必ずしも「再生」が伴うわけではない。
それは一番近くに居て、一番信頼し合っていた家族であれば尚更・・・・。
家族だからこそ「破壊」によって「再生不可能」となることだってあり得るのかもしれない。

だからこそ・・・・。
家族との関係は「決して万能ではない」ということを理解しなければならないのかもしれない。

「家族だからわかり合える」
「家族だから許してくれる」
「家族だから・・・」

家族だからこそ、1%でも壊れる可能性があるからこそ、大切にしなきゃいけない。

破壊の後の再生・・・・・

言うほど簡単な作業ではないからね。
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