日本版「告発の行方」
日本版というかこっちが1982年、ジョディ・フォスターのが1988年。レイプは100%犯罪だけど、女性の方にもなんとなく弱みがあるよねと観客を誘導しようとしてるストーリーが「告発の行方」と似すぎてて、ハリウッドが参考にしたのかなと思わせるほどでした。
序盤は田中裕子さんがどうやって裁判を決断するのかが脚本の見せどころだなと持って見ていたら「理屈」じゃなくて「衝動」だったので、人間心理ってこうだよねって、いい意味でやられたと思った。
裁判で田中裕子さんの過去の男性遍歴がどんどんわかって、そこに結びつけようとする相手の弁護士は、実際もこういう偏見で裁判を有利にしようとするんだろうなとリアルだった。見てるほうも、今回のレイプ事件と関係ないのに、そっちの男性遍歴に引っ張られそうになる。
ジョディ・フォスターも、バーでマリファナ吸って、カラダくねくねさせたり、実際のレイプは完全に犯罪なのに、見てるほうは「そういうことするからでしょうに」と引っ張られそうになるのが似てると思った。
暗闇で襲う日本と、みんなの目の前で襲って仲間がまわりでワイワイ囃し立てるアメリカと文化の違いを感じましたが、この映画も「告発の行方」も加害者の男はなんで裁判であんなに堂々と開き直れるのか理解不能だった。
見せ場だったのかもしれないけどバーで踊ってるシーンが長すぎて、どっちかというと床でごろんごんとでんぐり返しするシーンのほうが好きでした。あれって演出なのかアドリブなのか…?
最後のシャワーは解放感の象徴ってよりもサービスカットすぎて、もっとふつうのいい感じのエンディングを考えてほしかった。
田中裕子さんはOLとして会社の部屋に仲間と籠城したあと広告代理店に入って、そのあと校長先生になるのかと思いながら見てました。スーパーマーケットチェーン社長のあとに校長先生かもしれませんけど。
2023.7.9