綾

フィアレスの綾のネタバレレビュー・内容・結末

フィアレス(1993年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

Fearlessってきくと、なんだか力強くて誇り高いイメージがあるけれど、文字通りFearless(無恐怖)な状態って、こんなにも虚しく、痛々しいものなんやね……

なんでそんなに有名じゃないんやろう、この映画。すごくよかった、観られてよかった。Filmarksをしていなければ知らなかった映画ってたくさんあるなあ。

航空機墜落事故の生存者が主人公の物語。『エドワードへの手紙』を思い出した。

無恐怖症やPTSD、サバイバーズ・ギルト…… 人の心って、こういう状況ではこんな反応を見せるんや……って。いつもびっくりさせられる。本当に、人間は一人一人宇宙のよう。その心の複雑さ、果てしなさ。矛盾に満ちていて、誰にも(自分でさえも)コントロールなんてできない。
たとえばPTSDのように「名前が付く」ということは、本人だけでなく、かれらを支える周りの人たちにとっても助けになるんだろうな。

傷ついている人にとって、正論は暴力になり得るとも、改めて。これは本当に身に覚えがあって。正論を振りかざされて、「ああ、この人には話が通じないのかもしれない」と心を閉ざしてしまった記憶があるし、逆に、私が誰かに正論を振りかざしてしまわないよう、いつも忘れずにいたい。気をつけても気をつけても足りないくらい、人は自分にとっての「正しさ」を過信してしまう。

河合隼雄さんやヨシタケシンスケさんが、「気をすませる」ことの大切さを書かれていたのも思い出した。本当に、人の心は、正しさや常識や論理とは別の場所にある。マックスがカーラにしたような荒療治が、ときに必要なんだと思う。

思えば、人の心はこういう時にこんな反応を見せるのか…… っていう驚きを教えてくれたのは、いつも映画や本だった気がするな。分かったつもりにはならず(実際に経験しないとその本当のところは決して分からないから)、分からないと弁えたまま、それでも知ろうとし続けていたいね、何事も。「わからないまま、かんがえ続けることが大切です」大学で、学科の教授が言っていたこと、今でも時々思い出す。

徐々に明かされていく、それぞれの「あの時」。よく、やった側は忘れても、やられた側は忘れないと言われるけれど…… 実はそうでもない気が、私はする。人は案外、やられたことより、やってしまったことの方が、深く心に残るんじゃないかな。やってしまったことの方が、キツイんじゃないかな、本質的には。だから目を背けたり、記憶をつくり変えたり、自分を騙したりする。

死んでしまった人、それでも生きている人……すべてのことに、意味なんてないよ。やっぱりそうだと、私は思うよ。だけど、すべてに意味を与えられるのもまた、自分だけ。何に神や救いを見出すのかも。人は自分の意味づけの中を生きているから。Everything happens for a reason を真実にできるのも、生者だけ。だから、生きていかなくちゃいけないね。

誰かに話を聴いてほしい、見捨てないでほしい、でも放っておいてほしい、話してもきっと分からない。そもそも言葉になんてできなくて、そんな言葉見つからなくて、たとえ言葉にできたとしても、本当の意味で伝わるわけなくて…… そういうあらゆる気持ち、私にも、少しはわかるよ。

言葉とか、感情とか、エゴとか、何もかも。人間は、なんて不自由なんやろうね。

この映画を観てから暫く経ったけれど、まだいろんなことを思っている。全然整理できないや。いつか、また観たい。
綾