暴力と破滅の運び手

路上のライオンの暴力と破滅の運び手のレビュー・感想・評価

路上のライオン(1953年製作の映画)
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行商人をやっているキャグニーが南部の小学校で大卒の女と出会って爆速で結婚し、自分が大きくなったら結婚すると思い込んでいた田舎の小娘(フラミンゴという通り名がいい)にも迫られるまま関係を持ち、そうこうしているうちにキャグニーは農民を焚き付けて綿花商会のちょろまかしを扇動の暴力で暴こうとするのだが、そこで農民のひとりが保安官を射殺してしまったことから裁判に発展する。謎のフィクサーの力を得て妨害されていた裁判を開くも、裁判当日になって被告人が窓から撃たれ、キャグニーは死にかけているそいつを言いくるめて裁判台に立たせて裁判を続行し、ちょろまかしの事実が明るみに出る。その勢いに乗ってキャグニーは州知事選に出るが、選挙当日に嵐が起きて地盤となっていた田舎の票が絶望的になり、都会票を得ようとフィクサーのところに駆け込むとちょろまかしていたのが綿花商会の社長ではなくて工場主であったことが判明し、フィクサーからは交換条件に射殺犯の偽証をするよう言われて、偽証をする。地元に戻って選挙に負けそうになっていることを知ったキャグニーは農民を再度扇動して都会に攻め入ろうとするが、偽証がバレ、射殺された農民の妻に撃たれて死ぬ。
キャグニーはやっぱり高いところに登って死ぬのが似合うのだが、今回はトラックの荷台なのであんまり高くない。女と出会ってブリキの食器を叩きながら歌うキャグニーがかわいい。
キャグニーは演説がうまいので扇動者としての説得力が尋常ではない。「成っちゃった」キャグニーをどういう顔をして見たらいいのかわからない妻、というシーンが一番怖かった気がする。