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Harvest(原題)
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『Harvest(原題)』に投稿された感想・評価

Omizu
3.5
【第81回ヴェネツィア映画祭 コンペティション部門出品】
『アッテンバーグ』アティナ・ラシェル・ツァンガリ監督作品。ヴェネツィア映画祭コンペに出品された。

良作。『アッテンバーグ』とは打って変わってかなり重苦しい人間ドラマ。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが今作でも素晴らしい演技をみせている。

ある村で生きる青年、彼は地主の青年と幼馴染。被差別民を捕らえてから彼らの運命が狂い始める。

重厚な撮影がとても印象的。重なる差別と偏見、眺めることしか出来ない青年の視線を通して立場の差が明らかになっていく。

ヴェネツィア映画祭らしいヴィジュアル重視の作品。とはいえ内容も重厚だ。ツァンガリ監督の厳しい視線が貫かれる。

少し理解できない箇所もあったが、豊かな自然と対照的にダークな人間ドラマが展開される。

もう少しメリハリが欲しかったとは思うが、これはこれでいい作品だと思う。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズはもはや名優の域。社会からズレた青年を演じさせたら彼の右に出るものはいないのでは。
sonozy
3.5
『アッテンバーグ』のアティナ・ラシェル・ツァンガリ監督作。
中世スコットランドの閉鎖的な小さな村・共同体が外部の力によって解体されていく物語。

主人公ウォルターは、村の主ケントの乳兄弟で、村に溶け込んではいるものの(村出身者ではなく)どこか曖昧な存在で、土・草・水・生きものと交わり、気の弱そうな態度のなんともユニークなキャラクター。

土で薄汚れた姿。受動的・観察者的で語り部でもあるウォルター(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)の絶妙な配役。
穏健だがリーダーシップのないケント(ハリー・メリング)、地図師アール(アリンゼ・ケニ)、新地主となるケントの従兄弟ジョーダン(フランク・ディレイン)もいい。

地図というモチーフと共に、境界石に額を打ちつける儀礼なども印象的。

タイトル「Harvest(収穫)」は、物語が収穫期直後の7日間に起きる出来事ということや、近代資本主義による「共同体の収奪」の比喩、さらに、新たに種蒔く姿とも重なります。

どうともとれるラストシーンまで、曖昧で感覚的で没入感のある作品でした。
[イリミアーシュ不在の"サタンタンゴ"] 70点

2024年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。アティナ・ラシェル・ツァンガリ長編四作目。ジム・クレイスによる同名小説の映画化作品。舞台は17世紀イギリス、マスター・ケントを中心としたコミュニティが海に面した忘れられた土地に暮らしていた。主人公ウォルターはケントの乳兄弟であり、今では右腕的な存在だが、基本的に怪我をしたり気絶していたり発言しなかったりと役に立たない傍観者である。ケントにカリスマ性があるわけでもないので、村人たちもケントを絶妙に舐めてる感じがあり、それでも何も起こらないので平和な時間が流れていた。ある日、ケント所有の納屋が焼失し、誰も責任を取りたくないと思っていた矢先、村に三人の部外者が海辺に上陸したため、三人を放火犯として捕え、男二人を磔に、女を追放した。ウォルターは村人で唯一この三人に気を掛けながら、ケントの雇った地図職人アール氏と共に土地を周り、彼と一緒に様々な物に体系的な名前を与えていった。そんなある日、ケントには土地の相続権がなく、本当の相続者である彼の従兄弟ジョーダンが土地にやって来る。彼はこの土地を金になる産業を呼び込みたく、そのためには村人たちが邪魔だった云々。大きく分けて三つのテーマがあり、一つは上記の通りゼノフォビアである。この地で生まれ育ったわけではないウォルターが常々感じていたことが、三人の上陸者たちやアール氏への対応で表出していくのだ。二つ目は巨大経済流入による既存コミュニティの破壊である。本作品における村人たちはほぼ自我のない存在で(ある意味で『独裁者たちのとき』における群衆にも近い)、だからこそ影響されやすく、結果的に自らの意思として為政者に一番有利になることをする、つまり土地を離れていく。三つ目は、宗教者の不在、神の不在である。本作品はある意味でイリミアーシュ不在の『サタンタンゴ』である。同作における語り部である飲んだくれの医師もウォルター同様現場には不在で土地に残り続けた。また、頼れる指導者がいないからこそ、村人たちは羊のように追い立てられる方へと集団で逃げていくだけで、全ての登場人物が全ての選択肢を外し続けて次の行動すらも読めない不安定な物語が完成している。実に奇妙な映画だ…けど、ツァンガリっぽさってどこかにあったっけ…?