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狼よさらばのblacknessfallのレビュー・感想・評価

狼よさらば(1974年製作の映画)
3.6
『狼よさらば』シリーズ1作目🐺

全てはここから始まったわけだけど結果的にシリーズで一番浮いた映画になってる。
他と違って圧倒的にシリアスでちゃんとしてる。その上、深みすらあるから笑

街のチンピラに強盗に入られ娘をレイプされ妻を殺されたポール・カージーは非暴力を貫く信仰的人生観と犯人への復讐心、治安の悪化を放置する警察への怒りで揺れながら、夜な夜な街の悪党を射殺していく。
このカージーの気持ちの揺らぎを丁寧に撮っている。仕事相手の過剰な自衛主義に戸惑いつつ、銃での正義の鉄槌を夢想する。
初めて強盗するチンピラを射殺し帰宅した直後、興奮と罪深さに襲われ膝から崩れ落ちる。感情の激流に呑まれ嘔吐する。
ブロンソンの繊細な演技にシリアスでダークなマイケル・ウィナーの演出が冴え渡り、画面には息苦しいまでの緊張と苦悩が漂う。
あの大雑把な『ロサンゼルス』『スーパーマグナム』の主演、監督コンビとは思えないよ笑 逆に言うと以後なんであんな風になっちまったのか笑

法を超えた正義の裁きを執行する意味で同時代の『ダーティハリー』に似てる。
この2作は自衛主義の賛美と司法の不審、そして何より社会規範からはみ出した者達への憎しみのテンションが似てる。
これは60年代に始まったカウンター・カルチャーへの嫌悪があると思う。
画一化を強要する社会は間違っている、真の自由と友愛のある世界を目指す、などと綺麗事を言ってるが奴らは単なる我が儘な無法者じゃないかと。
両作ともヒットした1番の理由はここで、マンソンファミリーの連続殺人やオルタモントの悲劇でヒッピーやアウトサイダー達が引き起こしたカウンターカルチャーの自殺と言われた事件の影響もあり、カウンターカルチャーにシンクロできなかった多くの人達の心情にマッチしていた。
要するにカウンターカルチャーに対するバッグラッシュ、"秩序"求める反動的な声を救いあげたんだと思う。
現にダーティハリーの監督ドン・シーゲルはゴリゴリのリバタリアンでヒッピー嫌いを公言してた人だし。

でも、『ダーティハリー』と『狼よさらば』には決定的な違いがある。
ハリー・キャラハンは正義を行使した後に絶望してバッチを捨てるがカージーは違う。
正義の殺戮に酔い狂ってしまう。暴力に魅せられ裁くべき悪を求めて彷徨う。
だからダーティハリーのようなカタルシスはない。有名なラストシーン、流れついた街で見かけたチンピラ達にピストルのハンドサインを向けて射殺を暗示するカージーの笑顔は殺戮に魅せられた狂人にしか見えない。

いやぁ、本当に良くできてるな。改めて観ても。70年代のアメリカ映画らしい複雑さとやるせなさがある。

70年代らしさで言うと、カージーの妻と娘が襲われるシーンの生々しさと陰惨さと残酷さが『鮮血の美学』に似てた。
鮮血の美学と言えば当時、これはガチなんじゃねえかって!?疑惑と物議をかもした集団レイプ・リンチシーンが伝説なんだけど、チンピラのキャラとか空気感がそっくりなんだよ。あのシーンのデヴィッド・ヘスの演技は本当に怖くて頭の足りない野蛮な雰囲気とサイコパスじみた表情はホンモノにしか見えない。
『狼よさらば』のチンピラの1人は絶対にヘスを意識してたと思う。
そして、そのヘスを意識してるチンピラ、見たことある顔だと思ったらジェフ・ゴールドブラムだった笑 これがデビュー作。頭のおかしいチンピラとしてとても映えていた、後にハエ🪰になるだけに、、笑
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