nt708

西部の男のnt708のネタバレレビュー・内容・結末

西部の男(1940年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

南北戦争後のテキサス。判事がやりたい放題の、文字通り無法地帯のこの土地に流れ者の男がやってくる。開拓農民と牛追いのどちらの味方なのか。どっちにも転びそうな緊張感を生み出す演出は、その後の西部劇や時代劇への影響を感じさせる。さらに、流れ者が街の人々と対立関係になる展開や誰の力も借りず、自らの手で落とし前をつける展開は当時の西部劇としてはかなり斬新な試みだったのではないだろうか。

しかし、判事は酒と女におぼれて自分の身を亡ぼすこととなり、開拓農民に平和が訪れたという展開は些か出来過ぎなような気がする。まず、無法地帯とはいえ、判事を正当な方法で逮捕してほしかった。それでは物語が終わらないのは良く分かるが、いくらなんでも判事を死に追いやったのが自らの早撃ちの誘いであり、流れ者がその誘いに乗ったことだというのは、物語として出来過ぎな気もする。自らの手で自らの死を招いたという一種の滑稽さを描きたかったのなら理解できなくもないが、その割には最後の数シーンはしんみりしすぎている。

それに気になるのは、あれだけいた牛追い派の人間が結局どうなったのかということである。判事と同じく逮捕状が出たとしても、あんなにすんなりと平和が訪れるとは思えないし、すぐに牛追い派は復讐に動き出すだろう。そう考えると、最後のシーンは新たな戦いの前の静けさか、、そんな穿った解釈もできなくはないだろうか。

個人的にこういう話は嫌いではないのだが、本作はどうも物足りない気がした。解釈の余地を残しているというより、物語として穴が多すぎるように思うのである。同じゲイリー・クーパーが主演している映画でも『真昼の決闘』に敵う西部劇はこれからどれだけ西部劇を観ても出てこないように思う。それだけ私にとってはあの作品が素晴らしかった。本来、映画を比較するような野暮なことはしたくないのだが、それでも本作はどこか物足りなく感じてしまうのだ。
nt708

nt708