nere795

父 パードレ・パドローネのnere795のレビュー・感想・評価

父 パードレ・パドローネ(1977年製作の映画)
2.4
サルディニア島での、ある時代のある階層の人々、それを、その中から這い出すことができた人(原作者)がいたことにより、世界に知れるに至る
それが何なんだ?

パードレ(父)、パドローネ(あるじ)。パドローネを「支配者」と訳した時があったようだが、そしてそのタイトル訳とは無関係に、イタリアの後進地域での横暴な父親像という、ステロタイプな見方が意味を持つのか?

LGBTとかとは無縁な時代(現象としてはあったのだろうが、しかしそれが映像世界には取り上げられることは少なかったし、あったとしても、「ないかのように」扱われる、そういう時代が長く続いていた)、強烈な父性への異議申し立てとしての意味があったのか?

むしろこれを現代で上映することによる、父性の欠落状況に対する、それに対抗するありうべき理念型としての、一種のシミュレーションとして観る意義を見出すのか?

…自分には、上記のいずれをも見出すことはできなかった。なぜなら、映像作品としての造りの悪さ、空々しさが、まず目についたから。音楽の違和感について、でもいい。すべてが作りものとして、つまり自分には縁のない時代的空間的な距離を捨象してもなお、そこに否定しがたい造花感、それを終始拭い去ることはできなかった。

従って、自分が得たものとしては、小学校では動詞の活用を歌で覚えるのか、とか、サルディニア語(サルド)は、非人称表現がないのだろうか?とか、いった極めて微視的な感動でしかなかった。

微視的に見ている間に、絶対的な家族支配者、ではない父親の姿も次第に浮かび上がってきて、そのあたりが、救いであるし、作中に登場する原作者の意図が、文芸作品におけるそれと本当に一致しているのかについて、少し興味を持ちえたことが収穫であったとは言えなくもない。
nere795

nere795