三畳

風と共に去りぬの三畳のレビュー・感想・評価

風と共に去りぬ(1939年製作の映画)
4.9
初めてこの映画を観たのは何年か前の午前10時の映画祭で、その時は、なんとなく良かったけど、なんでこの若い女性がぞろぞろと家族や血縁のない人まで養わなきゃならないの?結局誰が好きなの?って感じで理解が追い付かなかったです。

その後、新潮文庫の小説版をゆっくり読んで大納得、この全5冊にわたる何人もの人生を、222分におさめるのはそりゃあ駆け足にもなる。プロポーズした次のカットで死んでる人物もいるし展開速すぎる。

「スカーレットは夫に2度も死なれて悲劇的な人生」なんて書かれてるのを見ると、全っ然ちがうよ〜!と本を押し付けたくなります!君は好きでもない男と結婚するのが趣味なのか?って言われるくらい、スカーレットにはいつも心熱くする別の対象があって、旦那に興味がないのです!

これを読んでいる間、本当に何度も励まされて、やっと映画を観返したら、もうタイトルバックで涙が出てしまいました(ちょいダサいけどGone with the Windが風に流れてるみたいなフォント)
そして、スカーレットまさにそのもののヴィヴィアンリーがぴんぴん元気で登場する冒頭シーンで感無量で泣き、まだ生きてる登場人物が出て泣きって感じで。

また、教養もなくて奴隷解放=良いことと思っていたら、こんなふうに南部を虐げるための手段として黒人の人権を過剰に保護したり、オハラ家のように奴隷との信頼関係が築かれていた背景があったことも初めて知ったり(この点やKKKのくだりは批判が分かれるところらしくて、フィクションから真実は推し量るしかないけど、そういう見方もあったのかなあと)。

長いけど、肝心のシーンは完璧に再現してくれていて、すごくいい映画化ですね。見る順をもし聞かれたら自分と同じ、映画を観て登場人物のイメージ像を役者の顔で頭に入れたうえで、小説を読破して、また観るっていうのを激おすすめしたいと思います(アシュリだけはちょっと…合ってないけど)。

私が1930年代に生まれていたら、ファンサイトとかやりたかった。間違いなく名著だけど長さのわりに読みやすくて、読者をオタク化させるコンテンツ力が高いというか。家族ともしょっちゅう語り合っています。

このレビューはほとんど日本語めためた乱文勢い読書感想文になります。ネタバレも少~し含みます!


・スカーレットは自己愛性パーソナリティ障害か
ここまでこの作品世界に入れ込んだのも、私はスカーレットに似てると評されることがあるからで、特に悪い面で共感することがかなり多いです。そして、スカーレットへの批評を通して自身も自己愛性パーソナリティ障害なのかと疑うようになりました。
その特徴は→限りない成功、理想的な愛の空想にとらわれている/過剰な賞賛を求める/他人の気持ちを認識しようとしない/他人に嫉妬する、他人が自分に嫉妬していると思い込む/傲慢な行動、または態度/多くの人間関係においてトラブルが見られる/脆く崩れやすい自尊心を抱えている等々・・・書いてて恥ずかしくなるくらい当てはまっています。
その原因に、幼少期の大きな劣等感や欠損があるらしくて、だからめっちゃ努力もして自分超すごいモードで自己防衛してるけど、ミスったら過剰にクズ人間だ死んだほうがまし!と卑下したり、極端なのです。(誇大的自己と無能的自己に分裂しており、真の自己である等身大の自分が存在しないbyWikiらしいです)
多分いつもスーパー頑張ってる分、ミスったときに落ち込んでるようでも、ちゃんと現実を直視できずに泣き伏すことで自分をごまかしてるから、いつまでもほんとの反省ができずに繰り返しているんですね。
山の天気のように、笑ったかと思えば激昂したり、泣いて引きこもった翌朝にはケロッとしてたり、スカーレットは美人だから何しても魅力的だけど、周りの人々は相当手を焼いていました。
でも、元々の性質もあるけど、環境のせいで強く強くならざるを得なかったのです。火の粉降り注ぐ中馬車で最初にタラに帰ってきて、畑の土を握った後、少女の面影はもう無かったっていう描写が大好きです。

・敵の多い人生万歳
物語中では主にスカーレットの10代後半~20代後半までを追ってるけど、どこに住んでもいつも敵だらけでおもろい。
まずモテるから、同世代女子からはひがまれるし、マナー破りでおばさま方からひんしゅくを買い、良識ある紳士達からは「女が商売なんてはしたない(男のメンツが立たないからヤメロ)」とはじき出され、
そのくらいならまだしも、窘められておとなしくするわけがないのでその唯我独尊な姿勢がますます敵を増やします。
はじめのうちは、どうでもいいやつらにどう思われようが実際痛くも痒くもない、と思うけど、戦後には、付き合う人を選んでいった結果、大切な古い縁もどんどん切れていつの間にか干されていて、さすがにちょっと悲しくなります。
それでもなんといってもスカーレットの素敵なところはいつでも一人で戦っていて、決して徒党を組まないことです。タラのピンチに関しては、実はメラニーという強力な味方が後ろについていてくれるのに、意識的に頼ったことや相談したことは一度もなく、すべて自分がなんとかするつもりでいるし、男に頼るときも決して「一緒に頑張りましょう」なんてしなだれかからずに「利用してやる」あるいはビジネスライクに「取引しましょう」って感じ。
そんな強い心の持ち主でもこれはさすがに辛いっていう、あるやらかしをしでかして今は社交の場に絶対出たくないっていう危機が訪れるんですが、そのシーンの潔い気持ちの切り替えがまじかっこよくてずっと私の励ましになってます。敵の多い方はぜひ読んでください。

・スカーレットの多面性を引き出すキャラたち
なんでも好意的に受け取るメラニーに人を語らせるとどんな人でも善人になってしまいます。だから、いくらメラニーがスカーレットの良き面を生涯にわたりガチで褒めたたえてくれても、ご近所の方々も読者も、それはまあメラニーの言うことだからってフィルターをかけてしまいます。
だけど、同じお人好しでも幼馴染のアシュリが、スカーレットのダメさも熟知した立場で、本気で褒めてくれる時はすごく説得力があって胸がいっぱいになります。そうか、スカーレットは優しい子だったんだな、と思い出させてくれました。
映画では存在ごと消されてしまった何気に重要キャラのウィルも、冷静な視線でスカーレットの賢さ/ずる賢さをあぶり出して、それに対する自分の感想は言わずに淡々と分析してくれました。(「でも君の心は折れなかった」という指摘が好きです。)
レットは多分スカーレットの美も醜さも最も理解していた人物で、ずば抜けた商才や、ときどき考えの浅さを見抜いても、それら全部ひっくるめた愛らしさを毒舌で表現してくれました。
あと、ちょっとしたシーンだけど奴隷のクッキーに父ジェラルドの遺品である懐中時計を約束通り渡すなど、義理堅い描写もあります。

・もしアシュリと結婚していたら
アシュリは知的でイケメンで、スカーレットがどんなに焦がれても手を尽くしてもゲットできなかった恋人だけど、実はスカーレットはアシュリの話はいつも難しくて理解しておらず、表皮だけを愛でていたんですよね。レット曰く「実際家」(現実主義みたいなこと?)のスカーレットにとって唯一の、少女漫画の王子様的な夢だったんだと思います。
アシュリは戦争を経て地位財産を失ったら、薪割りひとつやらせても満足にできないポンコツさが浮き彫りになって、そのことをよく自覚してます。他の人には厳しいスカーレットも、彼は農作業をやるために生まれてきた人じゃない、とむしろ適正のなさを憐れんで衣食住に職までお世話してあげます。それでも高貴な心が失われることに抵抗し続けるピュアさが切ない。
アシュリは使えないし、くよくよ嘆いてばかりだし、自分から遠ざかろうとしていたけど、スカーレットにとって夢として輝く存在であり、その恋心が間違いなくモチベーションとなって半生を支えてくれていました。だからこそ現実に気付いた瞬間にシャボン玉みたいに弾けて消え、友情に変わるシーンが実に感動的です。
冒頭ではスカーレットの恋は独りよがりで、アシュリに全くその気がないと思っていたので、アシュリ側の告白のシーンは人間らしくて驚きでした。もし時代がずっと戦前のまま、ふたりが貴族のお坊ちゃまとお嬢様だったら結婚できたのかと考えてみましたが、アシュリにとってもスカーレットは眩しすぎて触れられない夢のような存在であった方が幸せだったろうと思います。
スカーレットを諦めさせた後で納屋から見送る時、すなわちアトランタ行きにつながりカーテンドレスを作る時、こんな漢気があったとは、と打ちひしがれる素直さはしょうもないけどまっすぐで愛らしい。こんな何もできない机上の空論男は現代にもよくいます。
そんなアシュリの一点だけ良いなと思うところは、スカーレットがアホの子であんまり自分の難解な話を聞いていないとわかっていても、真摯に自分の言葉で自分の気持ちを伝えることを、妥協しないで語りかけてくれる真面目さです。恋愛成就はせずとも親友たる根拠はこうして蓄積されていたんですね。その点レットはスカーレットを子ども扱いして対等に話してくれていなかった気がします。

・レットが海底に捨てたもの
レットのたとえ話の中でも好きなのが、「ずっしり重荷を積んだ舟をこぐのに必死で、親切心とかお行儀とか、役に立たないものは捨ててしまった。でも再びお金が手に入ったら人に優しくするつもり」と言い訳をしたスカーレットに対して「そうして正解だ。でも一度捨てた積荷(美徳や名誉)を引き上げるのは大変だ、もし回収しても取り返しがつかないほど破損している」っていうやつで、シェイクスピアから引用してるらしいです。
レットも波瀾万丈な人生を歩んできてるっぽいけど(スカーレットが関心を持たないのであまり作中で語られませんが)、世渡りスキル高めなレットが捨てなければならなかったものって何だろうと考えてみた結果、素直さなのかなと思いました。
スカーレット目線ではレットに勝とうと意気込みやりあおうとして、一枚上手を取られてうまくかわされる、というパターンが多いですが、一見ナルシストっぽいけど等身大の自己像を把握してるレットでも、スカーレットに口を開けばからかいや皮肉ばかりで小学生男子みたいになることがあります。売り言葉をかわしているっぽいけど度々買ってしまってるように見受けられます。
いい年して好きな女子に優しくできずに家で作戦会議してると思うと可愛いですね。中盤まではそんな口喧嘩も微笑ましいけど、お互いに素直な気持ちを伝えられないすれ違いがエスカレートしてあのような結末に至ったと思うと、レットは本当に捨ててはいけない、彼にとって大切なものをどこかで捨ててきてしまったんだと思います。

・映画からほぼカットされた「世論」
時代性なのか、貴族の性質なのか、この物語の大きな要素になっているのが世間の声だと思ってます。主人公たちも序盤から、隣近所のおばさま方の評価を重要な行動指針のようにしているし、そんな多数派の考え方に行動が制限されることをスカーレットは憂いています。少女時代から、マナーやしきたりなんて無意味で疎ましいだけのものだと思っているけど、社交界では表面上は合わせなくちゃいけない。その抑圧があってこそ、それを跳ねのけて突き進むスカーレットの意志の強さが光るし、程度は違えど現代の日本で共感している私たちをわくわくさせてくれるのだと思います。
最も象徴的なのは、未亡人である身ながら地味な喪服を着ることに飽き飽きしていたころ、禁忌とされているダンスの誘いを受けたシーンで、一気に視界が開けるようなすがすがしさがあります。実はその前にも、同世代の女子たちから悪口を叩かれているのを盗み聞いてしまい、ショックを受ける可愛い一面もあるのですが、その反動で(反骨心・復讐心を動機に)悪口を言った女の彼氏と結婚をしてしまうのだからたいしたものです。そんな経験を経て、その後の人生もまるで迎合せずに成功をつかんでいく姿勢が加速していきます。一貫して世論や噂話がスカーレットの立ち位置を客観的に説明しながらつきまとうのに、映画ではその描写がほとんど省略されていました。

・時代に合わせて自分を変えられるか
戦争で社会がひっくり返って、今までの常識や考え方が通用しなくなっても、自分は自分とポリシーを貫くか、それともうまく身を翻して波に乗るか、という生き方の分かれ道も大きな見どころだと思います。
最もコロコロと態度を変えているらしいキャラとして描かれているのはやっぱりレットバトラーです。時代が崩壊し再建するのは絶好の稼ぎ時とまで言ってます。もともと人に好かれることに重きを置いていないから、自由に行動していながらも、好かれる必要のある人が現れたら、合わせることなんて容易なようで、レットの周りの人々のレットに対する評価もすぐにコロコロ変わります。でも変えているのは言い回しや接し方の問題で、絶対揺るがない芯があるからこそ成せる芸当ではないでしょうか。
芯がきちんと形成される前に、荒波に揉まれながら変わっていこうとしたのがスカーレットで、かつての敵を相手に商売するあたりまでは、生きるために仕方なかったとはいえ、囚人を低賃金で労働力に使うなど、倫理感もブレていきます。
それに対して、自分を曲げないメラニーと、変わる必要を感じながらも適応できないアシュリのふたりは、結局スカーレットが経済的に守ってくれたからこそ、自分らしさを保てたような気もします。だから古い考えの仲間からメラニーは賞賛され、生きるために身を翻したスカーレットが非難されるのはおかしい気もするけど、レットだけはスカーレットの適応力を絶賛し、その点アシュリを軽蔑しています。

・戦友メラニー
普通なら、平凡な容姿ながら美しくタフな精神で誰からも愛され、人々を救う、メラニーが物語の主人公になるのではないかと思います。そうだとすると、ずっとそばにいて自分を助けてくれた親友のはずのスカーレットが、実は夫と密通していた黒幕だったことに気づくのがクライマックスになるかと思いますが、そうならないのがメラニーの世にも美しい終わり方です。スカーレットにとってもアシュリにとっても、本当に大切なことに気付かされる重要なシーンですが、映画ではあっけなくて残念です。
そのせいで、「賢いメラニーはスカーレットの恋心にとっくに気付いていた」という見方をする人もいるようですが、原作では「メラニーは彼らを愛し信じ切っているので、そんなことをする人間だとは露程も疑っていない」ということが、罰を受ける覚悟で顔を上げたスカーレットが目を合わせた瞬間にわかる、というズドーンと来る演出です。
その重みを、ミード医師は十字架として背負うようにスカーレットに言い渡しますが、一度に世紀の大失恋を二つ食らったような混乱状態なので、ちゃんとその痛みが染み渡るには時間がかかるのかなと思いました。脱走兵を打った時も、火事の火消しをした時も、夫アシュリとの密会が言いふらされた日のパーティーでさえも、いつも一人で戦っているつもりのスカーレットを力強く後援したメラニーの数々の戦歴には胸が熱くなります。



Wordにベタ打ちで今6200字ありますがここまで読んでくれた人いますか?
箇条書きしてきてまた足したり消したりするかもしれないですがまとめは特にないです!600本目の節目に思うがままに書きました。
いつもいいね下さる方々ありがとうございます、今後ともよろしくお願いします。

夏の朝の麦茶ウマー!なアイコンに変えました。
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