サマセット7

ブギーナイツのサマセット7のレビュー・感想・評価

ブギーナイツ(1997年製作の映画)
4.3
監督・脚本は「マグノリア」「ゼアウィルビーブラッド」のポール・トーマス・アンダーソン。
主演は「ディパーテッド」「ローンサバイバー」のマーク・ウォールバーグ。

1972年、ポルノ撮影が合法化され、ポルノ産業の要地として知られるカルフォルニア州ロサンゼルス郊外、サンフェルナンドバレー。
ナイトクラブ「ブギーナイツ」のアルバイト・エディ(マーク)は、ポルノ映画監督のジャック(バート・レイノルズ)に、その巨根を見込まれ、ポルノ男優デビューする。
自らのモノを「最大」の武器として、エディはポルノ界のスターダムを駆け上がるが、増長、傲慢、そして映画からビデオへのポルノ業界の移行に伴い、その栄光は長くは続かず…。

ポルノ版アメリカの夜、ポルノ版グッドフェローズ、ポルノ版アラビアのロレンス、などなど、過去の傑作年代記映画と並べて、高く評価される、ポール・トーマス・アンダーソン監督(以下PTA)の27歳の作品にして初期の代表作。
監督自身が10代で制作した短編映画を長篇に作り直した作品とされる。
今作の舞台であるサンフェルナンドバレーは、PTAのホームタウンだが、今作が描く1972〜80年代にPTAは2歳から10歳にすぎず、ほぼ調査によって再現されている。

今作はプロアマ問わず非常に高く評価されており、アカデミー賞でも3部門でノミネート。
一定のヒットとなった。

ストーリーは、巨根のみが取り柄の若き男性ポルノスターの栄光と凋落を幹として、ポルノ業界内の、監督、女優、俳優、撮影スタッフらの夢と退廃を、70年代から80年代の雰囲気や音楽満載に、カラフルかつユーモラスに描く。

ジャンルとしては、業界内幕もの、職業もの、10年という長期間にわたる年代記、群像劇、スターの栄枯盛衰物語、ヒューマンドラマ、サスペンスやスリラーといった多様な要素を含む。
まとめると、いわゆるPTA作品。

ポルノ業界が題材であり、裸体やセックスシーンもそれなりにたくさん出てくるが、いわゆるポルノ的なセクシーさやエロティシズムは皆無である。他作品でベッドシーンやキスシーンで表現されるロマンティシズムすら、カケラもない。
これは、我々が現代日本の過激なAVを見慣れてしまったから…ではなく、あくまで今作が職業としてのポルノ映画撮影を客観視点で描いているからである。

前作ハードエイトで現れていたPTAの作風は、今作でも全開されている。
印象的な長回し!
主要登場人物をワンカットで一気に紹介して見せる映画史に残るオープニング!!!
中盤の、ビキニの女性の臀部を追いかけて、そのままカメラごとプールにザブンと入ってしまう長回しショット!!
監督ジャックとエディの擬似的父子関係と、その破綻!!というPTAお得意のモチーフ!
安定した状態が、外部的要因から雪崩のように破綻していく崩壊感!!!
あらゆる要素に意味や引用がある、こだわり切った演出!!撮影!!音楽!!編集!!!
音楽と完全にリンクした楽しい画面分割シーン!
ユーモアを滲ませた独特のキャラクター表現!台詞回し!!
PTA作品常連の個性的な役者陣の名演技!!
こうしたPTA作品の特徴を感じつつ観るだけで、十二分に満足な体験となる。

今作が一般に評価される最大の所以は、70年代から80年代のサンフェルナンドバレーの再現度にあろう。
PTAの当時年齢が27歳とは到底思えぬ、徹底した画面づくりは、当時の空気感を完璧に甦らせている…らしい!!
70年代から80年代のアメリカの空気を知らない現代日本人でも、当時のアメリカ映画の空気に通じるものははっきりと今作の中に感じられよう。
当時はカッコ良かったであろうが、今見たら恐ろしくダサい、とか、逆に新鮮で面白い、とかいう感じである。

個人的な今作の見どころは、3つ。
1つは、ポルノ業界という題材と特徴的な役者陣が醸し出す、なんとも言えないユーモラスさである。
まず、主役の唯一の取り柄が巨根である時点で苦笑してしまう。
エディは、何度も繰り返し、俺には唯一無二の才能があるんだ!!と述べて、自らを「奮い立たせる」。
エディは、自らの「才能」に有頂天になり、全く畑違いの素人アクションを取り入れてみたり、監督の演出に文句を言うようになり、増長の極みから、ついに転落するのだが、よって立つモノがモノなので、どんなに描写がシリアスでも、なんだか面白いシーンになってしまう。
ラストシーンも酷くて笑うしかない。
こんなラストの名作は他にない。

主役以外も負けていない。
演じるバート・レイノルズ(脱出!ロンゲストヤード!)が圧倒的な色気を出しつつ、最低のアクション映像を撮って「これは最高傑作だ!(ワナワナ)」とか言ってるカリスマ監督ジャック!
離婚した元夫が監護する子供と会いたくてたまらないのに、その話をしながら、コカインを吸いまくる、ジュリアン・ムーア(ジュラシックパーク2!ハンニバル!)演じる大物ポルノ女優アンバー!!
妻がセックス中毒で浮気しまくることに頭を痛める、ウィリアム・H・メイシー(ファーゴ!ジュラシックパーク3!)演じるスタッフ・ビル!!
一目で主人公に惚れてしまう可哀想なPTA作品常連フィリップ・シーモア・ホフマン!(カポーティ!ミッションインポッシブル3 !)。
PTA常連といえば、ジョン・C・ライリー!フィリップ・ベイカー・ホール!
なんとも情けなくも、とぼけたいい味を出すドン・チードル!(アイアンマン2 !ホテルルワンダ!!)。
そして、終盤、恐るべき怪演を見せてすべて持っていくアルフレッド・モリーナ!!!(スパイダーマン2のドクター・オクトパス!!!)
挙げていくと、どんな名優博覧会だよと思うが、今作を起爆剤に評価を高めた俳優は数知れない。

2つ目の見どころは、主人公や撮影チームの栄光と挫折の、象徴となる2つのモノの寓意的な用いられ方である。
1つは、まさしく主人公のモチモノ。
モノのエレクト具合が、そのまま主人公やチームの隆盛と凋落を物語っている、という構成は、上手いというべきか、クレイジーというべきか。
もう一つは、ドラッグである。
今作では、ドラッグ吸引シーンが頻出するが、その全てが、キャラクターの凋落を象徴している。
この寓意がクライマックスに達するのが、主人公が終盤陥る、ドラッグ絡みの企ての果ての修羅場である。

見どころの3つ目にして最大のものが、キャラクターやチームの凋落の描写の、畳み掛ける疾走感である。
次から次と重なる没落描写の、どれもこれも地獄が過ぎて最高なのだが、その頂点が、アルフレッド・モリーナ演じる金持ちの家で、主人公が陥る最悪の展開!!
緊迫感!狂気!可笑しさ!場違い極まる音楽!
これぞサスペンス!!
マグナム!爆竹!!
ビクンビクン震えるエディとリード!!!!!
この場に居合わせるのは嫌すぎる!!
このシーンの笑いとシリアス、サスペンスの融合度合い、このシーンをクライマックスに配するバランス感覚は、天才的である。

今作のテーマは、多様な解釈が可能だろう。
50年代から60年代にかけてアメリカを席巻した核家族化の波が、経済の変遷とともに限界に達して、崩壊しつつあった70年代。
家族という居場所を無くして孤立した人間たちが、寄り集まって生きる場としての、ポルノ映画撮影チームという擬似的家族。
今作は、家族神話の崩壊後の、帰る場所としてのコミュニティの成立、危機、復興を描いた作品、という見方はできるだろう。
擬似的息子としてのエディ、父親代わりのジャック、母親的役割を求め、求められるアンバーの関係性は象徴的だ。
もちろん、よくあるスターの栄枯盛衰物語のように、エゴイズムや傲慢の危険性、時代に順応する大切さ、謙虚さの重要性、表現者としての矜持などを学ぶことも出来るが、ラストの一連のシーンからはそうした反省や人生の悲哀、その他カッコイイものはうかがわれない。
やはり、失くして初めてありがたみのわかる、「帰るべき場所・コミュニティ」の大切さ、という文脈でこそ、ラストシーンは納得できるというものだろう。
主人公は帰るべき場所に戻った。だからこそ、「あの」ラストシーンなのである。

題材の特殊性、尺の長さ、監督の作家性と、鑑賞し始めるのにややハードルを感じる作品なのは間違いないだろう。
他方、観たら忘れ難い印象を残す強烈な作品であるのも間違いない。

当代随一の作家性をもつ監督による、初期の代表作にして、90年代を代表する名作。
今作は時代性のある音楽使いにも特徴のある作品である。
作中で使われている一つ一つの曲のもつ文脈を、色々と調べてみるのも面白かろう。