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暗殺者の家の教授のレビュー・感想・評価

暗殺者の家(1934年製作の映画)
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「古典=クラシック」映画の難しいところは、こちら側が「現代の目」で観てしまうところ。
映画のテンポや、作劇、演出のアイデアが踏襲されまくっている以上、その「斬新さ」は薄れているし、体感としては退屈してしまう。
しかしながら、1934年、今から約90年前の映画として考えると、映画は既に本作の監督であるアルフレッド・ヒッチコックによって作劇上の演出のアイデアは確立している、という驚きはある。

現在では「ベタ」に見える部分でも「射撃」を使った演出や、諜報員ルイ(ピエール・フレネー)の殺害シーン、教会での乱闘や、ラストの銃撃戦といった物語上の緩急の付け方、演出や撮影と編集によって物語を構成していく「映画的」演出、見せ方のテキストとして観ることができる。

現在も尚、古びることはない、という表現は作品にとって適切ではないと感じるが、もちろん「こじつけ」も含めて、そういった学びと気づきが本作に限らず、クラシック映画にはあるのだと思う。

いわゆる、作劇上の「ご都合主義」に対しても「現代の視点」を持つと本作を楽しむことはできない。
そういった意味でストーリーから一旦離れて、シーン毎にどういう撮影を施しているか、どのように演出をしているか、という「映画」のテクニックや構造を知る、というやっぱり「教科書」として観る方が楽しめる。

本作は「トーキー」作品だが、映画そのものの魅力を知るには、むしろストーリーを離れて、画面のみを見つめ、映像をどのように繋げているのか、ということに何か体感するものを得ていくと「映像的快楽」と呼べるものを、いつか知ることができる気がする。
未だ。僕は「映画とはこれだ」と断言できるものではないのは、本作のような「古典作品」からの映像的魅力というものを、まだキャッチできないという感覚による。
やはり、それには無粋かもしれないけれど「勉強」が不可欠だと思っている。
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