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つぐみのSPNminacoのレビュー・感想・評価

つぐみ(1990年製作の映画)
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何となくタルコフスキーを意識したような、海への郷愁を誘う風景を漂うカメラ。もう帰れない夏と、そこにいないあの子の物語。
公開時に観て、とにかく牧瀬里穂の顔が大好きだった。演技力はともあれ、つぐみの無愛想に刺々しく挑発する目、不敵な面構え。それがすべて。アップショットが多いのもわかる。ずっと観ていたくなるもん。
とはいえ、映画でつぐみは見る側だ。病弱な彼女の視線の先には死の気配。若いまま死ぬかもしれない恐れにつぐみは反抗し、彼女を失うことへのぼんやりとした不安が常に辺りを覆う。夏も海も恋も友情も予め失われた時間の中、雨や潮風で湿った夜は彼岸か黄泉の国にいるみたいだ。
そんなトーンは吉本ばなな原作由来か、市川準監督の狙いか不明だけど、やっぱタルコフスキーっぽい?(そういや今なら『アフターサン』と似た系統だな)死を目の当たりにしたつぐみは、落とし穴という墓を掘ることでやっと生を実感するのだが…まあ、死は子ども時代の終わりということかもしれない。
けど、最も幻めいて、いっそ霊体めいているのが幼馴染まりあだった。語り手であるまりあは、中嶋朋子の声がまた絶妙に平熱で、クッキリとした輪郭を持つつぐみの影のような存在。継父にほのかな恋心があるように思えなくもないが…それもぼんやりしてて、待って、見送って、見送られるだけ。まりあを形作っているのは、よそ者としての郷愁と、早くに大人になってしまった喪失感だ。その視点はぼんやりとして何も見てない。いや、幻しか見ていない。だからこそ最後の電話も、現実かどうか判然としない。
しかし当時、若手女優の相手役に年の離れた男優が多かったのは何故。以前も思ったけど、真田広之は無理に若作りしてるように見えるし、あの幻の世界には生々しい実体感(肉体感)がミスマッチ。不良グループくらい1人でやっつけそうなのに!
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