このレビューはネタバレを含みます
みんな、「ある子ども」だった。
まだあどけない少女のようなソニアは、若き母になったことで、コドモからオトナになろうとしていた。彼女は、もしかしたら、誰からも教えられてこなかったのかもしれないけれど、すでに愛を知っていたのだと思う。
赤ちゃんの父親となったブリュノは、いつまでたってもコドモのままだ。なんも考えてない中2のクソガキのまま。その日盗んだもので、その日をまかなっている。きっと、次の日のことは全然考えないで生きている。売れるものは何だって売る。年下のガキを使って、ひったくりもする。生後間もない赤ちゃんまで・・・。
2人の間に生まれた赤ちゃん:ジミー君は、懸命に生きていた。映画のなかでは、泣かず、ぐずらず、ほとんど静かに眠っていて、めっちゃおりこうさんだった。この環境下で生き抜くには、それしかない。できれば、よく眠ってよく育って、こんなひどいことが行われていたということを、のちになっても知らないままで成長してほしいと思う。一生、知らなくていい。大事にされて育ったという記憶(それが差し替えられた記憶であったとしても)、それだけでいい。
年を重ねれば誰もがオトナになれる、というワケじゃない。じゃあ、オトナになるって何なんだろう。オトナになる瞬間って、そういう瞬間ってあるんだろうか。
自分の罪を見つめること、犯した罪の責任をとろうとすること、誰かと抱き合って涙を流すこと、誰かの為になりたいと願うこと。ラストの2人の涙と、無音のクレジットのその先に、かすかな希望の光がある、とわたしは信じたい。
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*ダルデンヌ監督作品を観るのは5作品目
*「少年と自転車」は、今作のその後のようにも感じる。「息子のまなざし」とも繋がっているように思う。