あんじょーら

番場の忠太郎 瞼の母のあんじょーらのレビュー・感想・評価

番場の忠太郎 瞼の母(1931年製作の映画)
2.9
無声映画鑑賞の2本目が、この作品です。製作は1931年!昭和6年!

弁士は沢登 翠さんです。好みで言うと、私は沢登さんの弁舌が気に入りました。多分、新型コロナウィルスのせいで、席の間隔を開け、ビニールで遮蔽された上でマイクの音で拾う作業があると、どうしても声がこもります。しかし、それを差し引いて、こういうモノが無かったら、そしてもっと狭い小屋でかかっていた場合の弁士の迫力を想像するに、沢登さんの演じ分けにはかなり迫るものがあると思います。もっと端的に言えば、想像する弁士の話し方に近かった、という事ですね。


江戸時代、年老いた母と娘の住むある農家の前に腕を痛めた兄が倒れついていた。兄は堅気になる事を承知してくれているのだが・・・と言うのが冒頭です。


多分、私がハリウッドやヨーロッパの映画を観ているせいだと思いますけれど、すごくいびつなプロローグに見えました。尺で言うと半分くらいが序章と呼ばれる人物紹介だと思います。まるで序章で一件落着に見えるくらい丁寧な扱いなんです。


またこの主人公番場の忠太郎の、凄くまっとうな、あまりにまっとう過ぎて、ちょっと変に見えるくらいのまっすぐさが、とても眩しいです。流石に古さを感じるのはこういうキャラクターの立て方ですね。


しかし、それ以外はかなり秀逸にまとめられた作品です。何しろ瞼の母ってかなり上手いタイトルだと思いますね。とてもヒロガリのある文章だと思うので。


ストーリィも、序章の割合は変だと思いますけれど、それは私が無声映画を初めて観ているからで、これが普通なんだと思います、昔の場合。今がテンポ良過ぎる為に、感情的に浸る、という時間を無くしてしまっているんだと思います。今とは時間の体感の流れ方が違うと思うのです。そこに良い悪いは無いと思うのです。


まず、主役の片岡千恵蔵の、すごくはっきりした顔立ち、ここが素晴らしいですし、絵になります。そして基本的には、母を求めつつもいろいろと騒動に巻き込まれるタイプなので、腕っぷしは良く、そのため、眉毛は上がり勝ちなんですけれど、この定型になる顔が映えるんです。


その上カメラワークは大変気を遣っていて、正直片岡さんの顔は定型なんですけれど、ライティング、そして上から、下から、ズームのかけ方等で、それぞれとても表情を感じさせるように仕上がっていて、ここが本当に驚嘆しました。分かり易く言うなら、クレイアニメや止め絵のアニメーションで、ライティングやカメラワークで、同じ顔なのに、表情を感じさせる、あのやり方と同じだと思います。多分技術で言えば今はもっと工夫出来ると思います。


そしてヒロインの山田五十鈴が!あんまり可愛くない笑!これなら、最初の農家妹の方がカワイイ!とか思うのも、多分美意識の変化だと思います。美人という概念も変化していく、という事ですね。


片岡千恵蔵の殺陣がめちゃくちゃカッコイイ。そして、このころの人の、着物の着かた崩れ方着こなし方が、現代の着物の着かたと、ココが違うと指摘出来ないのに、明らかに何かが違うんです。生活感としか言えないかんじですけれど、堂に入ってる、と思います。この表現も古いか・・・つまり、使い慣れた感覚があるように見える、という事です。


また、時々差し込まれるセリフの文字のフォントがたまらなくイイです。盾に長い文字は縦長に、平たい文字はさらに平たく、と言った感じで、デフォルメされている感じなんですけれど、今まで見た事が無いフォント!凄く個性的で素晴らしかった!


ラストの、片岡千恵蔵の、これまでほぼ同じ顔が、突然弛緩しまくるところは必見です。


セリフも素晴らしかったなぁ。


というわけで、これからは無声映画の世界にも時々は足を踏み入れる所存です。

誘っていただいたカタパルさん(知らぬ間に省略形になってた)に感謝。