男女というものは、時に支え合い、時に足枷になる。
誰かと一緒に過ごすということに、負い目は付き物。
一組の男女の交差は、一つの歌の様であり、一本の芝居の様に、その後の自分を支えてくれる。
終わってしまえば、さらさらと流れてしまうけれど、ふとした時に、あの頃を思い出して懐かしむ。
出逢いも別れも、そんなものでしかない。そんなもので良い。
よく喋る男は、面白いかもしれないが、面倒臭い。
偏屈で理屈っぽく皮肉屋。
コンプレックス故のこだわりが炸裂。
語数が多くて話を追うのも疲れて来る。
ああ、男って、女々しい。
客観的に見れば、男女の会話は不毛なものばかり。
だが、探り合いの微妙な距離感も含め、第三者から見るとその不毛さや無駄さに可笑しみを覚えてしまう。
人間も人生も男女も、いつだって滑稽だ、というスタンスで、その生を全面的に称えるのがウディアレンなのだ。
若いダイアンキートンの、歌もまた素敵。
身体と心と言葉が一致している時って、殆ど無いかもしれないなあ。