りっく

127時間のりっくのレビュー・感想・評価

127時間(2010年製作の映画)
4.2
本作はほぼジェームズ・フランコの1人芝居、さらに固定された舞台、単純明快な物語と、非常に“限定された”映画だ。
そんな中で重要な位置を占めているのが、フランコ扮するアーロンが常に持ち歩いているビデオカメラである。
この小道具が、とても効果的に使用されている。

第一に、アーロンの性格描写に一役買っている。
アーロンは1人旅でありながら、自分を撮影するためにビデオカメラを持っている。
それは旅の記録という意味ももちろんあるが、“自分をカメラに収める”という行為は一種のナルシシズムを感じさせる。
それが1人で何でもできる、タフなヒーローとして人生を歩んできたアーロンの内面を的確に描写すると同時に、この場所へ誰にも告げず1人でやって来た動機づけにもなっているのだ。

第二に、自分を撮影することで、自分を客観的に見ることが可能になる。
それが、自分の過去や人生を振り返るということに繋がっている。
今まで傲慢に、そして強がって生きてきたかもしれない。
圧倒的な大自然の中で、自分の無力さや孤独を、身を持って実感し、改めてささやかな現実や、周囲を取り巻く人々に想いを馳せるアーロンの姿は実に感動的である。

だが、過去の記憶や夢や幻想の世界に逃げ込もうとしても、眼前のあまりにも絶望的な現実がそれを許してはくれない。
見上げれば外の世界はすぐそこなのに、身動きができない苛立ち。
息苦しい閉塞感がアーロンに容赦なく迫り来る。

だからこそアーロンが“決断”する場面は痛みが必要不可欠なのである。
血が噴き出す中、自らが自らの骨を砕き、神経を削ぎ落とし、そして彼はやり遂げる。
その場面を描く際に決してダニー・ボイルは決して目を背けない。
むしろ、容赦なしに観客に見せつけてくる。
思わず脂汗が滲み出てくるようなシーンだが、だからこそアーロンの強靭な精神力、さらには生命への渇望が力強く伝わってくるのである。

これだけ限定的な映画を、これほどまでの傑作に仕上げたことは奇跡である。
映像の魔術師・ダニー・ボイルは前作でオスカーを獲得したが、人間描写に難があることは否めなかった。
映像の素晴らしさは然ることながら、その欠点も見事に克服した本作は、間違いなく彼の最高傑作である。
りっく

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