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ケープ・フィアーのぉゅのレビュー・感想・評価

ケープ・フィアー(1991年製作の映画)
3.8
2022年 鑑賞 22-168-19
NHK BSプレミアム にて
「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」「ディパーテッド」等のマーティン・スコセッシ監督による、「恐怖の岬」(62)のリメイク作品で、憎悪と復讐心を蓄えた服役中の犯罪者マックス(ロバート・デ・ニーロさん)と、その復讐相手である担当弁護士のサム(ニック・ノルティさん)およびその家族を描くサイコスリラー作品。

ー 執拗と狂鬼は表裏一体 ー
映画界のベストコンビってあると思う。例えばティム監督 × デップさん、山田監督 × 渥美さん、黒澤監督 × 三船さん(ここは諸説ありそう。仲代さんや志村さん等)... 今回のスコセッシ監督といえば...

“失う恐怖を学べ”
映画館で葉巻、迷惑な煙... 14年という刑期を終えたマックスは、彼が憎む弁護士サムの前に現れる... サムの犬の毒殺、マックスの肉体のタトゥー「復讐するは我にあり 時は来た 神を信ず 神は復讐なり 時はまだ満ちていない 真実 正義 復讐者ロレッタ」、パレード、サムの愛人、サムが不倫をしたかどうかで夫婦喧嘩... 息の詰まる空気...

“俺のダチか? ダチかと思った 旅の相談はダチとする 違うのに指図するのは無遠慮だ 実に失礼だろ てめえと仲良しじゃねえし”
ここのシーンからのマックスは、より彼の恐怖感や狂気感が増す。尾行する探偵、朝にはサムの家の前に現れ、娘に新任の教師として電話をかけて来る...

“黒い森から来た 悪い狼かもな” “公平な教授から助言だ 彼らを批判するな 無知さを許してやれ”
穏やかなマックスも物凄く恐怖。何にもしてこなからこその恐怖... そしてあの●●シーンさえも恐怖だ...

“私は神のようであり 神は私のようである 私は神のように大きい 神は私のように小さい 神は私より上でなく 私は神より下でない”
全てはマックスのの手の中。監獄の間馬鹿みたいに葉巻吸って、体鍛えて、体にタトゥーを掘っていた訳ではないっ!字が読めない彼は絵本から始め、法律に聖書、詩、哲学など頭に入れていった。14年という長い年月をかけて... 本当のクソ白人はサム弁護士だったのかもしれない... こう観ると最初の恐怖はむしろ次の一手のしっぺ返しがどういうものかワクワクしてしまう不思議。デ・ニーロ兄貴の狂気が凄いという評判で構えて観たためか、斜め上から殴られた爽快感に近い感情だ!

“本能で感じる やつはもう家の中だ” “ムショ仕込みの殺し方さ 白人のクズめ”
空港、罠、正当防衛... 成功するのか?私は娘の動向が... 「薔薇の十字架」やっぱり...
切れたピアノ線、銃の発射音、発狂のサム、「あなたはどこで 永遠の時を過ごしますか?」、車の●、ケープ・フィアーの看板が揺れながら映るシーン最高!、船上での恐怖... そして...

葉巻のシーン、そして14年前の裁判の続きのシーンが... そしてまさかの結末は神の審判か?サムに殺人をさせないための... あとカメラが一回転するシーン好きだったなぁ... 反転する映像のシーンも印象的だった!やっぱりスコセッシ監督の匠の技と狂鬼さが光っていた作品だった。個人的にサム側とマックス側両方に感情移入してしまったことに反省。マックス凄ぇめっちゃ場を掌握していると思ったら、また狂鬼に戻って... 振り回されてしまった感には反省ですね。

「責任の意味を教えよう 14年前俺は監獄入りの責任を負わされた 今度はお前が負う番だ」

1830
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