・立ち去り際に「取り戻す」とぼそっと言うシーンの撮り方と演出が凄い怖く感じる
・カメラ目線で「すいません 裁判長」という場面も、恐さとユーモアのバランスが凄すぎる
・このシーンの凄さは、直前に母親と娘の方に向かって「お前(ら)は陪審員だ」と言っているので、このカメラ目線はつまり「映画を見ている私達が裁判長なんだ」と言っている 復讐人の彼は、人間の領域ではない場所(地獄の番人のいるところ)に行ってしまったのだと分かる しかし彼は誰に向かって話しかけているのだろうか(あのサタンなのではないだろうか)
・映画の鑑賞者に対して、いったい悪というものの成り立ちはどういうものなのか真剣に考えよ、と彼(製作者)は言っている
・しかし、視聴者への突然のカメラ目線はメタ表現なので、下手すると映画を全く駄目にしかねないが、台詞だとか演出、主演俳優の演技の凄みがそれを可能にしているんだと思う 連続で3回もやるんだからすごい
・(法に則っていれば善人、法を犯せば罪人というのは人間がシステム的に用意した簡便のための法則であり、本来はキリスト教世界を本気で信じているはずの白人世界に於いては、父親の不倫も罪、娘に対する無理解も罪、弁護士でありながら法の下で全うするべき弁護を私見で背いたのも罪、法を司る者で在りながら暴力で私刑に及んだことも罪であり、彼は地獄行き確定なんである というのが復讐人の理屈である 当然ながら復讐人は自身が地獄行きなのを承服している 理解していない連中に対して心の底から震え上がらせることが彼の命題である)
・法律家は、原則として法の下の平等に則り、法律のしもべであるべきなのに、この弁護士は私見で容疑者の弁護を怠った これは公権を超えた傲慢な態度だと言わざるを得ない(それをやっていいのは神のみのはず) 実際、この役者はうまいし、そのあたりのあざとさをしっかり演じ切っている こいつはインチキ(かもしれない?)という事をしっかり描いているから映画として成立する
・こういうのは「逆恨み系」みたいな解釈がされるけどそうじゃないんだよな、とか思う 「システムに載っかってる上での善人」を演っていることに無自覚でいながら、「自分だけは悪であるはずがないと本気で思い込んでいることの悪」みたいな話で それって我々のことでは?と思わないでは居られない