次男

コーチ・カーターの次男のレビュー・感想・評価

コーチ・カーター(2005年製作の映画)
4.3
良い映画すぎて動揺してる。
極端な感情移入もなければ、心惹かれ胸踊るセンスフルな映像でもないし、大好きな俳優が出てるわけでもない。好みとしてなんの贔屓もしてないのに、この映画の純粋な良さに、ため息でる。「ただ良い映画」という最強。

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カリフォルニア州リッチモンド高校。高い犯罪率、落ちこぼれの生徒たち、自制の効かない怠惰なバスケ部。新コーチのケン・カーターはその改革を任される。カーターはある決意を胸に秘め、厳しい練習を部員たちに課していく。

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映画にする意義がある。

邦画でも「部活モノ」って山ほどあるのだけど、それらの良し悪しに関わらず、到達するのは友情と努力と勝利、までだったりする。いや、まったく正しいことだと思うし、それを期待して観てるのだけど、「なぜ部活をやるのか」その質問に返す言葉って、用意されていない。部活によって得るものも多いだろうけど、機会を失ってるものも多くあるだろうと思う。
「なぜ部活をやるのか」学生本人はやりたいから、で良いと思う。でも、大人がそれを描く以上、「やりたいから」だけで留めて、意義があるのだろうか。

この映画には意義があると思う。いや、意義しかない。「なぜ部活をやるのか」、ものすごく現実的で、ものすごく有効な理由で、部活をやるのだ。「彼らにはバスケしかないんです!」と叫ぶ校長に、「それが問題なんだ」と返すカーター。大人の仕事はそれだと思った。一緒に熱狂して、あの没入を応援して、それじゃだめで、いやそれでもいいのかもだけど、同じ目線じゃだめだ、一緒に熱狂しながら誰より俯瞰で覚めていて、導く。打算的に、堅実に。

彼ら学生は熱狂と熱中でいい。指導する立場の人間や、描く立場の人間は、どこでなにを見ているべきか。その明確な答えがこの映画にはあって、もう意義しかない。

意義を踏まえてさ、最後の掛け声とか、本当に感動的なんだよ。感動的。

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脚本がうますぎる。

このコスパなに?異様なまでの効率の良さ、最低限の描写で最大限の思い入れを抱かせていって、物語はコロコロと転がり続けてく。3-4人の人生を描いて、一貫したカーターの想いがあって、練習の描写も十分あって、街の空気と彼らの未来の暗澹も感じさせて、試合数だってめちゃくちゃあって、スポーツ観戦の興奮もあって、パーティとか閉鎖事件とか裁判じみたやつもやってたな、すんごい。ほんと思い返すといろいろ思い出ありすぎてヤバい。2時間と少しの映画観たときの思い出の量じゃない。連ドラ1クールの感じに近い。

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試合がマジで興奮する。
手とか上げちゃった。ウォー!っつって。なんかきちんとそういうのやらせてくれるくらい、ほんとの試合観戦みたいだった。

音楽がいい。
どうなんだろ、本国だと露骨なのかもけど、島国的にはあれぐらいヒップホップ流れて街の空気感がすこし伝わる気がする。

名言多すぎる。
上述の「それが問題だ」、「何を怖れている」の答え、体育館で机に座りながらあいつらが言ったあれ、ほんと名言だらけなんだよな。

単純に、倫理的にすごく好ましい。
正しくあれ。賢くあれ。カーターのジェントルさが、すごく好ましい。「試合の日はタイを付けろ」、その理由なんて別にわざわざ言わない。僕らが感じたこの感覚自体がそのまま理由。好ましい。好ましいんだよこの映画。

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まあ、とは言っても単純にこれが日本の文化に当てはまることはない、って別にわかってる。この映画を日本の高校生が観ても、血湧き肉躍ることはないかもしれない。でもさー、でもさ、「勝った!ワーイ!キス!」とかじゃさ、なんか馬鹿みたいじゃんね。この映画観たあとだと、ほんと馬鹿みたいに思えてしまう。

正しく、賢くあれ。
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